嫌われる勇気以来の衝撃
〇講演企画にあたり
昨年、ひきこもりをテーマにした講演会を企画するにあたり、どのようなテーマにしたら来場者に喜んでもらえるのか考えた。
ひきこもり講演の来場者で一番多いのは当事者の親。そこで、個人的なひきこもり体験談も、もちろん興味を持ってもらえるが、個人の体験なので、我が子と接するのに役に立たないかもしれない。また、社会問題としてのひきこもりをテーマにしても、社会が変化するまで待てないと思われる可能性が高い。そこで、親御さんが息子さんや娘さんと、どう向き合えばいいのか。そういったひきこもり理解をテーマにした講演を行うことにした。
〇荷物と鎧とは
連載のなかで、不登校・ひきこもり状態の人のこだわりについての記載があり、丸山さんはこだわりを二つに分け考える提案をしていた。一つは、「学校でいじめられた」「就職に失敗した」そのような個人的なこだわりを「荷物」と例え、もう一つは「学校に行くべき」「大人は働くべき」といった世間の常識へのこだわりを鎧と例えて、ひきこもり状態にいる人は重い荷物を担ぎ、重い鎧を着て歩いている。さらに、周囲の人は、そのこだわりを捨てさせようとするが、本人は一向にこだわりがなくならないことが多い。そんなときにどうすればいいのか、「こだわりを捨てられないひきこもり状態の人」を否定せずに受け止めれば、その結果、荷物も鎧も軽くなる。と丸山さんは展開した。
〇他者の視線を意識した生活
僕自身、学校で「いじめられたこと」いじめられた時に言われた「新舛はダサイ」という言葉が気になって、服に髪型など外見にこだわるとか、トレンドの洋楽を聞くことで、そのレッテルと戦った。もちろん世間常識のこだわりもあり、学校復帰にとらわれ、同級生と4年も大学進学が遅れた事を常に気にしていた。丸山さんの表現を借りるなら僕も重い荷物を持ち重い鎧を着ていた。20代にひきこもった時は世間常識つまり、いい会社に入ることにとらわれていながら動けない。まさに、重い鎧を着て生活していた。
この重荷から解放されたのはその事実を丸ごと受け止めてくれた家族、友人・知人だった。
家庭内暴力に走ってしまったのもこのつらい気持ちをわかってほしい、認めて欲しい。ただその気持ちだけだった。その後、僕は友人・知人に恵まれた。
不登校・ひきこもりというバックグラウンドを背負った男と友人になってくれると言う事は、その事実も丸ごと認めていることに他ならない。そして僕は重い荷物と鎧から解放された。
〇当事者が発見できる居場所
再び不登校新聞の連載に話は戻る。「早期発見・早期対応」というテーマにおいて、多くの場合、当事者を早期発見し速やかに対応するのが常識であるが、視点を逆に早期発見しやすい場づくりが重要である。と書いてあった。
僕もこれは大賛成で、早期発見してほしい当事者なんてほとんどいないと思うし、僕だってほっておいて欲しいというのが正直なところだ。しかし、当事者が発見しやすい居場所はありがたい。僕なら市民団体「逗子30‘Sプロジェクト」だったり、僕が現在も通っている支援機関だ。
〇ひきこもり理解の決定版
僕は少ない数であるが、ひきこもり理解の本は読んだ。そのほとんどが専門家と言われる人や精神科医が書いたものだった。趣旨はいかにひきこもりという状態から早く抜け出るために、親が優しくしたほうがいいのか、厳しくしたほうがいいのか。そんな本ばかりであった。そういった本があふれるなか、丸山さんはかつて当時者であったこともあり、当事者の目線を持ちながら親や周囲の人はひきこもった人々をどう理解すればいいのか、具体案が多く書かれている。さらに、現在は相談員として、また講演家として、専門家としての鋭い視点が多くある。
そして丸山康彦さんを講演会に招いて講演を行う(別紙チラシ参照)。
この講演は、ひきこもり理解の決定版だと自負している。ご参加いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。