ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

寄稿No3「社会的ひきこもりについて」2013年12月1日

僕は今約10年間ひきこもり生活をおくりなぜ僕は社会との関わることが出来ないのか、すなわち働くことが困難なのか、また多くの社会的ひきこもりと呼ばれるの人々は何故働けないのか。それは社会に原因があるのか、引きこもってる側に原因があるのかと考えを巡らせていた。
 

 最近PCを通して人々との交流の機会があったので多くの働いている人々と関わってみた。そこで驚いたのはそれらの人々は働いてはいるが、ある人は以前精神科に通っていた。また生きていてごめんなさいと悩む人。さらに家庭環境から自己肯定感が持てない人。これらの人とPCを通してではあるが意外にひきこもりと呼ばれる人々と心の持ちようは変わらないのではないかと思ったし、それらの人々もひきこもり生活と紙一重ではないかと感じた。
 

 僕はそれら働いている人々に「僕は精神病でひきこもっています」と正直に言っても意外に「へー」とか、「あ、私の妹もそうだから」という声もあった。もちろん怠けてると思うような人もいた。これらの現状をみて案外働いている人々にもひきこもりという社会問題を理解してもらえるのではないかと思った。もちろん互いの価値観があることなので簡単なことではないことは十分に理解しているつもりだ。そこから、なんとか働いている人々とひきこもりの当事者の直接交流が実現できないものか。相互理解という固いテーマではなく互いに楽しく行える事を通して社会的ひきこもりと呼ばれる人々と働いている人々との緩く穏やかな交流から結果的に相互理解ができるのではないか。まずはその辺りから徐々に社会的ひきこもりという問題の理解が進み、僕を含めた社会的ひきこもりと呼ばれる人々が生きやすい社会を構築という大問題に立ち向かい解決に向けて行動したいとう思いがある。


しかし、また一方では10年前は人並みにもしくは人並み以上に努力ができたし、そのことからなかなか僕がひきこもりという言葉を受け入れられなかった。だから正直こういう問題は他人に任せ、僕だけは社会参加できるのではないか、さらには人並み以上の事ができるのではないかという考えも同時に存在する。このような僕が果たして社会的ひきこもりのような問題と対峙していいものか悩みどころである。