ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No20「友人を家に招き~人との関係性を考えて~」2015年8月1日

友人が初めて我が家に来た。



逗子に来て22年間家庭教師やら、カウンセラー等訪問してもらったことはあるけど、金銭関係のない純粋な友が家に来るのは初だった。
 
 目下の悩みである対人関係のブランク。また精神疾患で生きづらいのではなく、僕の場合対人関係が親だけだったということが精神疾患の根底にあるということ。それらは、ここ2年間、対人関係を構築しそのうえで気づいた新たな発見・視点だった。
 

 20年も対人関係を築けなかった僕は考え方も独りよがりだし、家族やカウンセラー以外に話し相手(特に友人)がいないからどうしても自分の殻にこもり思考が狭く解決しない考えが頭の中でぐるぐるとまわり、もどかしい思いだった。
           
 
小学校6年の時、初めて不登校になって以来、親にはべったりだった。家族の中だけで生活していたので、家族以外の人との交流がどれほどの財産になるのか。考え方に幅が広がるのか全く分からなかったし、知らなかった。だから特別この空白の20年を当時は何も思っていなかった。友人は作るものじゃなくて出来るものだと思っていた。そのため塾に通っても、通信制の高校でも、予備校でも、友達同士が楽しそうに話しているのを特別羨ましいとはほとんど思わなかった。



多くの人はおそらく、一人だと虚無感とか、孤独感を感じるのだろうが、僕には感じなかった。
           
これもまた最近の気づきだが、ここでくどいほど書いているけれども就労と恋愛の二大テーマ。一向に前に進まない原因がはっきりと分かった。要は就労も恋愛もある程度満たされている状況にあるのだろう。就労は父親が代わりに稼ぎ決して貧困ではない。だから働く必要性がない。恋愛は母親(これは醜態をさらすけど過度のマザコンですね(苦笑))に肩代わりで毎晩話を聞いてもらってる。だから今まで就労と恋愛の必要性を感じなかったのかもしれない。


そんな僕がこの2年多くの人との交流があった。でも、大きな悩みが一つ。横のつながりがない。


例えば僕には月に1回づつ3人も相談者がいる。それはあくまで相談員と利用者の関係性、だから縦の関係。特に感じるのはあるNPOに相談に行く際毎回5千円を親からもらい相談に行くのだけど、その5千円は親が稼いだお金。だから結局親に依存しているのかなと感じる。そのような縦の関係さえも当初はかなり難しかった。体調に波があるので約束が出来ない、気持ちをスッキリして帰宅するはずの相談が必ず疲れていた、等など。それが徐々に慣れ今では比較的サクッと行き、話したいことだけ話して帰れるようになった。



そんな僕に友人と言える人が一人、二人と増えてきた。だけどなぜか友人と呼ぶにはしっくりこなかった。関係性が一方通行で以前にも書いたけど、僕が連絡したいときだけ連絡して話す一方通行の関係性。だからななめ上の関係性のような感じ。



自宅に友人の彼が来てくれたことは僕に初めての横の関係が出来たのかなと思えた一日だった。最初から上手くはずもなかった。彼が、メール交換したいと言っても断り、食事に誘われても断り、ツーリングに行こうと言っても断り、とにかく断り続けた。まるでひきこもり当事者の親が連れてきた相談員から逃げるように。それでも彼は断り続ける僕の態度に一切嫌な顔一つせず応えてくれた。



昨年僕が好きなカラオケに誘ってくれ一度遊び、最近まで疎遠だったけども、彼が応援団会議に来てくれたのを契機にまた遊ぼうと僕から誘った。誘っておいて非常に失礼極まりないと思うけど正直乗り気ではなかった。だけど、約束は約束だからと待ち合わせ場所に早めに行き、別の友人に教えてもらった素敵なレストランでお茶を飲みながら3時間話した。その際彼がひきこもり支援をしたいという話から冗談半分で、じゃー僕の家に訪問してと言ったのがきっかけで、4日後には我が家に来てくれることになった。僕は外出が苦手だし、外で食事が出来ないなど多くの苦手な事があるけど、一番安らぐ自宅ならと快く迎えた。1時から5時まで語り合い、彼の写真を見せてもらい、僕は得意気に家にある、あらゆるものを見てもらった。というか自慢した。誰と合っても疲れる僕だけど、この日は実にスッキリした。
 

 また後日遊ぼうと約束もした。
 

 そんなこんなで彼にはエネルギーをもらい、活動的にあちこち飛び回り、またネットの新しい友人とも上手くコミュニケーションがとれている。

正直そうはいっても、まだまだ人間関係が不慣れ、だけど僕とは違いブランクもないし、人生が順風満帆に見える人でも対人関係の悩みはあるとフェイスブックをみたりするとわかる。なのでおそらくもう僕はひきこもりではないだろうし、精神疾患寛解したのではないか、と思う。
 

 苦手な事が無い人なんかこの世にいないし、比較に囚われず僕は僕と思い日々を過ごそうと最近は少し思えるようになった。その矢先体調を崩してしまいました。まだまだですね。