ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No5「他者か見える自分」2014年5月1日

 他の人は知らないけど僕はあちこちに相談の場所を持っている。具体的には言えないけれどそれぞれ一か月に一回通ってる。某NPO、就労支援センター、障がい者の施設、滝田さんの家。以前その就労支援センターで当事者の体験談を聞いた。僕の実感だがそこは比較的就労に近い人々が通ってるのかなーとの印象があったので、他の相談者がどういう人なのか興味があった。僕が受けている相談はもちろん1対1なので他の相談者の顔が見えないし当然そこには守秘義務があるから横のつながりは全く分からない。
 


 自分を知るためにはやっぱり誰かを通してしかわからないと思うのでその当事者の体験談よりそれを聞きに来ている人つまり相談者に興味があった。初めてだったので緊張したが司会進行が僕の相談担当の人だったのでそこに安心感があり意外と気楽に参加出来た。参加人数は十人ちょいだったと思う。当事者に興味がない僕にとって最初の自己紹介に興味があり、もちろん初参加だから僕の番になったらどーしようという不安も当然あった。まー自己紹介と言っても一言だからそれなりにこなせたし大方皆同じように緊張した面持ちで話していた。メインの当事者の話が終わり、質疑応答の時間になると誰も手を上げないから仕方なく質問してみた。その後2人くらい質問したが自分で書いていてなんだかと思うが質問内容に引けはとらないのかなっと思い、また最後の感想用紙にもささっと書いて1番に帰ったのを思い出す。
 


 僕は何度もここで書いてるように精神疾患だから当然精神科にも通う。そこでも同じように他の患者の観察がはじまり、あーあの人辛そうだなとか、え?あの人も病気なのっと思う人もいる。
 


 このように横の比較と言っていいのかわからないけど同じひきこもりの当事者、同じ精神疾患を抱えた人達を見ていつも思うのは彼ら、彼女らに見える自信のなさ、不甲斐なさが僕にはそこがよく目立って見えてしまう。働いてない、家では親に頼りっぱなしそんな僕がこんなことを思うなんて不謹慎だと思うし、実際不甲斐ないのは僕自身であり、自信がないのは僕である。なんで、僕がそう思うのかと色々考えたが結論は自分の弱さが投影されて他人に見えるのだろう。おそらくだけど。だから自分自身にある程度自信みたいなものが付けばそのような人を見てもおそらくは何も思わないのかもしれない。