ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No18「依存体質と向き合って」 2015年6月1日

お昼12時ころ、ようやく起床したら、チャーハンが必ず僕には用意されている。それは母親が作ったものだ。そうしてだいたい、PCを立ち上げ、夜中に切っていた携帯の電源をいれてネットをチェックするというのが僕の決まった日常だ。
 
中学校の時、不登校になり逃げるように転校し、ここ逗子住んでおおよそ20年。僕には友人と呼べる人はいなかった。その間、家庭教師やカウンセラーが数名いたが、それはあくまで金銭の関係だった。最近ようやく、一人、二人友人かな?と思える人と出会い、交流している。
 
多くの人は義務教育を経て、高校に進学し、そこからさらに様々な進路へ進むのだろう。いづれにしてもその過程で人々との交流があり、様々な経験を積み自立への道へ進んでいくのだと思う。
一方で先ほど書いたように、僕は中二から不登校になり、また高校には通ったものの通信制の高校へ入学したため友人、知人はいなかった。大学受験のため予備校にも通ったけれども常に一人だった。また最近ようやく卒業できた大学も通信制。しかも一度も学校へ通わず入学から卒業まで出来る大学(学習や試験もすべてネット上で可能)。そのため人とのかかわりはほとんど無かった。
 
冒頭に書いたように起床時から母親に食事を作ってもらい、家事はほとんど母親任せ、お金は34歳になって情けないしここでは書きたくもないけど、小遣いを毎月いくらか貰って生活している。もちろんそんな生活だから、家の光熱費を1円たりとも払わないし、パソコンが壊れたら父親に買ってもらう。まるで10歳の子どもと何も変わらないじゃないかと、情けなさを通り越してあきれてる。


こんなはずではなかった。それに10代の僕は対人関係を通して社会性を学び自立するという過程を知らなかった。


僕は何も自立できていない。精神的にも、経済的にも親に頼りっぱなし。友人との関係性においても、こちらからたまに連絡して、悩みを聞いてもらったり、構ってもらうだけ。相手からは連絡がない一方通行の関係性。(ただし彼の配信には通うけど)

なぜ、こんな依存体質になってしまったのだろう。

おそらく僕がおおよそ20年、人との交流がなく、会話は家族だけ、そんな生活を送っていたためだと思う。だから常に親に頼る習慣、つまり、依存体質のようなものが心身に染みついてしまったのではないか。
 
同世代の多くは経済的、精神的に自立しているように僕には見える。同じように自立することは、現時点で不可能。もちろん、自立に向けなんとかしなければと思うけど、僕が精神的な余裕を失って約10年。僕なりに試行錯誤してきたつもりだったが、就労という経済的な自立、親からの精神的な自立は全くできなかった。だからもう半ば諦めている。


そう思っても先に死ぬのは親。だから今から何かしなければと焦るが、実際出来ることは限られているので、日々コツコツと自立への道、つまり自分で食べるものくらいは自分で作る、就労といっても今の僕には非常に難しいので応援団で頑張る。それくらいしか今の僕には出来ない。おそらくこの僕自身の課題は一生背負っていくことになるのだろう。