ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No26 ネバならない思考と葛藤~家にいることは堕落?~  2016年2月1日

最近ネバならないにとらわれて葛藤する日々が続いている。


昨年SNSを通して友人になった人と日々とっても楽しく通話しているのだけれど、よくも悪くも自宅でコミュニケーションを測れるからわざわざ外に出てまで人とコミュニケーションをとる気がしなくなった。
 
 もともと、ひきこもり体質の僕はネットで買い物をしたり、以前書いたツイキャスという配信サイトやSNSで人と交流する事が多い。そんな生活に自問自答の日々だ。
 
 それというのも、考えが古いのか固いのかよくわからないけど、やはり外に出て食事でもしながら人と交流するのが健全で、家にこもってPCやスマホで人と交流することは堕落(大袈裟だけれども)なのかなと思ってる。外で食事や買い物をしながらインターネット(以下ネット)を活用する事が現代の理想なのかもしれない。そういう意味ではバランス感覚が問題で僕の場合あまりにも家にいる時間が長すぎるのだろう。僕がそう思う根底には親があまり良い顔をしないせいだと思う。
           


そんな僕でもごくたまに友人と食事に行ったり、横浜駅周辺で買い物をしたりするけれど、外食がまず苦手。それでもって体調に波があるので、わざわざ相手と数日後に約束してまで食事に行くよりも自宅のネット環境で外出することなく、その時の気分で、すぐに誰かとコミュニケーションをとった方が楽しいと感じることの方が多い。同様に、買い物にも行く機会もあるけれど、ネットで探していた商品の在庫がなかったり、店舗よりネットでの価格が安かったりする。それに僕の場合、電車やバスが全く乗れないので移動手段は車かバイクに限られる。車の場合高速道路の料金が非常に高い、そしてコインパーキングに停めるのだけれど、20分100円という感じで時間経過と共に料金が加算されるから急いで買い物をする羽目になる。そこまでのお金と労力をかけてまで買い物に行くのがなんだかバカバカしく思えて、最近はめっきり買い物にすら行かなくなってしまった。


冒頭にも書いたように最近は自宅で通話できる友人が出来たし、また元々オシャレには興味があったから必要にして十分の服があるので服を買うこともない。



最近そんな感じで自宅にいる時間が長い生活を送っており、体調もイマイチなので、25時の決まった時間に寝ても起床は11時30分位。と10時間半も寝て、それでもって、30分程度のやるべき作業を終えて、また14時位からだらだらと寝転がって過ごすことがより多くなった。先ほど書いたように外出して健全な日々をおくらネバならない考えにとらわれている僕とってこのような生活スタイルは精神的に苦しい。それに、こんなに寝てばかりではいつか待っている親の死後、当然お金がなくなるので就労しなければならない。こんな生活スタイルでは体力はなくなっていく一方。しかし応援団や外ではおそらく僕がこんなに悩んでるとは決してわからないだろう。精神疾患とは本当に目に見えづらく、そのため怠けてるのではないかとか、普通の人でも体調くらい悪くなる時があるのだからと言われることがとっても辛い。
        


友人と書いた先ほどの人は女性なので、もちろん友人ではあるけれど、異性と自宅で話し込んで、そのせいで外出が難しくなったり、体調を崩す、そんな事は醜態の極みではないかと思っていた。だけれど、そのいきさつをあるカウンセラーに話したら、そんなに自分を責める必要がないのではないか。それに、友人との通話で疲弊することもあるかもしれないけれど、体調の波は以前からあるのではという言葉に救われた。それに主治医に友人との通話により疲弊すると相談したら、コミュニケーションをとることは僕自身にとって良いことで時間を決めてやれば良し、と言われたし、それに通信とエッセイは書いてる。つまり最低限の職務に支障がない範囲なら良いのではともいわれたので、まーいいかな、なんて思う所もある。



以前、就労支援センターで「様々な相手とコミュニケーションをとった方がコミュニケーション能力がついて就労にとって良い」。ある友人にも「対人関係の経験を増やせば自信が付き交流が広がるよ」なんて話を聞いていたから、自宅であろうとコミュニケーションをとることは、将来、僕にとって絶対プラスになると考え、多少の葛藤と喜びを抱えながら自宅での様々な人と交流をしている。