ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No27 「人は変われる!と思った出来事」 2016年3月1日

 しばらく休んでいた就労支援センターに行ってきた。



 半年ぶりだったので近況報告をざっとしたら、「働いたら?」という驚きの答えが返ってきた。唐突だったのでびっくりしたし、具体的にどのように働くのかという話は出来なかったのでよくわからないまま帰宅した。ただ、「働けそうにない人には言わないから」と言われ自信になったと同時に、僕が働けるのか?!と思った。「働けないと思ってるから働けないんだよ」とも言われ何だか納得できないし、僕の事がなにもわかってないんじゃないかと少し憤りを感じた。
 

 言い訳がましく言えば、35年間働いた経験なし、持病で体調に波があるので具合が悪い時は家でずっと寝ているし、電車やバスにも乗れないなどなど出来ないことだらけ。明日からコンビニでバイトするなんて考えただけで恐怖感と、今、編集長という肩書に少しばかりおごりがあるせいか、年下の人に頭を下げて何か仕事をするだなんて考えられない。でもその人は6年くらい前に僕に「勉強はほどほどにしてコミュニケーションをとった方がいいよ」と言ってくれてその時も今回と同じように全く納得がいかなかった。だけど、SNSや配信サイト、もちろんリアルで人とコミュニケーションをとったら見事に上手くいき、多くの知人や友人、親友が出来、それらの人々のおかげで見方・考え方がかなり変わった。その出来事を一つ紹介したい。
 




 1月20日病院に行った時の事。定期的に通っている病院だから診察券を入れて気楽に待っていたのだけれど、いつまでたっても呼ばれない。うーんおかしい。最近は30分位の待ち時間なのにと思っていたけれど、1時間経っても呼ばれないから受付に「あのーまだ呼ばれないんですけど」と言った。そうしたら、「診察券入れましたか?」と言われ僕は「入れました」と言ったら、診察券が診察券を入れる受付の箱にひっかかっていた。そのせいで僕は本来ならば30分程度の待ち時間で呼ばれるはずなのに、1時間も待たされた。
 

 皆さんならこういう時どのように感じるのでしょうか。僕はもちろん箱の作りが悪い、つまり病院側の管理が悪いと感じた。そのことを友人に話したら、「私なら入れ方が悪かったと思うけど」と言われた。母親にもこの事を話したら、私も入れ方が悪いと感じると言っていた。一つの事実で結構受け取り方が違うんだなと思った。
 

 
 正直、僕はこういう理不尽(といっても大したことないけど)な事に寛容ではない。
 

 ずいぶん我慢できるようになったからこのような事がおきても平静を装っていたけれど、ちょっといらだっていたのが正直なところだ。数年前の僕なら、そりゃーもう看過できなかった。おそらく頭に来て診察を受けずに帰っていたか、主治医や看護師に怒鳴っていたかもしれない。もちろん親にも報告して1日中機嫌が悪い状態が続いただろう。
 

 今考えたら、たかだか30分程度余計に待たされただけで、そんなに怒るなよと過去の自分に言いたい。それに、病院のスタッフも人間だからミス位あるし、僕だってどこかの場面でミスをして相手に迷惑をかけることもあるのだからと思えるようになった。



 帰り際、車の駐車券をみたら2時間も病院にいたな、とふと考えた。最近何事も少しは前向きに考えられるようになった僕は2時間と言えば応援団定例会と同じ時間ではないかと。そんなに疲れて無かったし、これなら不安だった後日の応援団定例会に体調も万全だなと考えた。
 



 自分で書いて35歳にしてなんと精神年齢が低いのかと情けなくなるけど、以前より着実に精神年齢があがったことに素直に嬉しくなった。
 

  と、こんな感じで些細なことかもしれないけど、日常でも僕の気持ちはとても穏やかになった。それはもちろん他者との関わりによる影響が大きい




 僕の家庭では僕の思いどおりになるけれど、とても親しい友人でも相手の事を考え許容しながら付き合うことになる。そのおかげで僕は独りよがりの頑固な考えから自然と柔軟性が身についてきた。だから病院の一件も軽く受け流せるようになった。





 当然なのかもしれないけれど、家事をやってくれてる母親に感謝の気持ちや、父親が僕と同じ精神疾患を患いそれでも僕ら家族のために精一杯働いてくれたことに以前は何も思えなかったけれど、どれだけ大変だったかと思えるようになった。
 
 
 このような心境の変化により冒頭の「働いてみたら?」というのも、以前なら、おそらくもう二度とそこの就労支援センターには行ってやるものかと考えていただろう(今でも若干そう思うけど)。だけど、次回話を聞いて出来る範囲でやってみようという気になったし、やるだけやってみようかな、なんて考えられるようになった。同時に現在、経済的に困窮してないし、なんだか働くという事はキツイ、辛いといった漠然としたイメージがあるから働きたくないという気持ちもあるのが正直なところです。