ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No28「人を肩書きで見る癖~教育長と会って感じたこと~」 2016年 4月1日



1月27日、3月に行われるサミット開催準備会議に向け逗子の教育長に会う機会があった。




僕は教育長という「肩書」にビビっていた。教育長って管理職なのかな?服装はカジュアルな服でよいのか、スーツは持っていないしとか、もやもやと思っていた。
 
 


  予定通り14時30分から15時まで教育長の部屋に入って話は出来た。僕は滝田さんと小幡さん同様に名刺はあったから教育長と名刺交換できたところまでは良かった。だけれど、僕以外の3人つまり滝田さん、小幡さん、教育長は社会的地位のある人だ。帰宅してぼんやりその日の出来事を反芻していたら、僕はその部屋にあったソファーに座るべき人間ではないのではないか。と考えていた。
         




滝田さんはなんだかよくわからないけど、市長や著名な方々と多くの交流があり、小幡さんは横須賀市の市会議員。僕は編集長という肩書きは一応あるけれど、今でも名ばかりの編集長だなと常々感じている。




編集長と言えば雑誌の編集長というのが僕のイメージだ。おそらく寝る暇もないくらい激務で、もちろん誰もが最初から編集長なんて肩書きではなく、下積みの経験や多くの取材経験を経てその地位に就くのだろう。その点僕はなにも経験せず、いきなり編集長になった。皆さんはおそらく滝田さんと最低月に1度くらいは顔を合わせて打ち合わせをしていると思われているのだろう。だけど実際のところは、打ち合わせはメール位。そして通信の作成にあたり、講演会等のイベントが無い時は応援団の誰かに巻頭を書いてもらう依頼を僕がする。あとは通信の枠を作成し、巻頭に書いてもらった文章を通信に掲載し、月に一度の「こども若者応援団定例会」の議事録を僕が書く。そして川辺悟史さんの写真を載せ、滝田さんにメールをして、通信の大枠の修正や、僕が書いた議事録を直してもらう。出来上がった通信は滝田さんが自宅で印刷し、手折り、封入、発送してもらっている。そういう事なので、なんだか編集長という肩書にふさわしくないんじゃないかな?と思うけど、不登校やひきこもり経験を経たため働いた経験が全くない僕が初めて所属感を得られたし、名刺なんて持てたことは憧れだったから嬉しくもありと複雑な心境だ。
 



 話は教育長と会った時に戻るけれど、そんな少しばかりの自信と名ばかり?ではないのかという肩書しかない僕だから、そこにいる人と同じようにソファーに座っていることが苦痛だった。なんだかふさわしくない。地べたに正座でもしてようかなと思った位だった。だから当日は苦しい経験だった。





後日フェイスブックで教育長と友達申請を許可してもらい、名刺にあったメールアドレスにお世話になりましたと言う感じでメールをした。忙しそうだし返信なんかまったく期待していなかったけど、丁寧な返信をもらった。
僕が教育長と会った日に滝田さんが「ひきこもりの新舛です」と、唐突に紹介してもらったから話しは早かった。
            
 



 僕はもともと横浜市の中学校に通っており、そこの学校が荒れて、しかもいじめにあっていたので、人間不信になり不登校になった。その後、現在の住まい逗子に、不登校脱却のため中二で転校した。とても環境のいい学校だったのにそこでも結局学校に行けなかった僕は人間不信に陥った状況だったから、友人がしばしば帰り際に僕の家を訪ねてくれたのに頑なに僕は会わなかったし、会えなかった。もし最初から逗子にいてそこの中学校に行っていれば、不登校にもならず、普通に高校進学なんかして、楽しい学生生活をエンジョイしていたかな?とよく思っていた。この事を教育長に一言、「最初から逗子で教育を受けていればこんな(ひどい)人生ではなかった」と言った事を覚えてもらっていて、メールの返信に昔そのような事があったのならばボランティアでもしてみないかとのお誘いがあった。是非詳細を教えて下さいと、再びメールをしたら、国勢調査で余った筆記用具を寄付する活動と、福島の被災地支援だった。僕は両方とも距離的にも体力的にも無理だったから、丁重に断ったのだけれど、その際にも、気が向いたらでよいのでと書いてくれて、とっても嬉しい気持ちになった。





市役所にお越しの際は是非寄って欲しいと言われたから、特別用事もないのに、アポなしで尋ねてみたら快く迎えて下さり、20分位卓球のお話から始まり、先ほど書いたボランティアの話し等を聞いた。市役所に行く前も、アポをとった方がいいよなと思いながら電話する勇気が無く、突然行ったのだけれど教育長の予定が空いており運が良かったなと思った。本当に良い人だったし、教育長と身構えていた僕がばからしくなった。こんなことを書いていると僕が社会的ステータスのある方と会ったことを自慢しているように感じられるのかもしれないけれど、まー正直自慢ですね。それにこうして交流が少し広がったことが素直に嬉しかった。
               




まだまだ学歴、職歴、肩書きから人を見る癖がある。そのような目線で人と接することは良くも悪くもなかなか治せない思考回路なので、今後、貴重な出会い・体験を失う事があるのかもしれない。