ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No29「いじめ解決方法~篠原さん、僕の体験談から~」 2016年5月1日

3月26日市民サミット開催準備会議(以下準備会議)が終わった。
 
 
 もともと篠原さんとは、2014年2月にこども若者応援団主催で講演してくださった経緯と、数ヶ後に再び他団体の主催で横須賀で講演をしていたのでそれを見たことを克明に覚えている。
 

 多くのいじめによる自死問題はマスコミによって被害者がどうして自死に至った経緯があるのかに焦点が当たっている。僕も普通に新聞やニュースを通して他人事のように見ていたし、被害に合われたご家族の気持ちなんて考えたことも無かった。
 

 だけど僕は篠原さんとの出会いによって、遺族の苦しみがいかに辛いことなのか、年月が経てば薄れるものではない。そのような事を篠原さんとフェイスブックで交流させてもらい感じていた。
 

 もちろん、僕は子どもを持った親でもないし、気持ちがわかると言ったら嘘になる。だけど、子どもを亡くした親の気持ちを想像するだけで、胸が苦しいし、篠原さんがフェイスブックで悲しい思いを投稿されていた時、本当にいたたまれない思いになった。
 

 先程書いたように2014年2月我々こども若者応援団が主催した講演会の時は正直、篠原さんのお話を聞く余裕がなく、準備や役割に精一杯だった。しかし、その後に一度参加者として篠原さんのお話を聞いたとき二つのキーワードを克明に覚えている。
 

 一つは「被害者責任論」多くの人になじみのない言葉だと思うけれど、要はいじめられた側に原因があるというロジックだ。例えば「弱い気持ちによりいじめられるのだから強気で言い返せ」とか、いじめられた側にもいじめられるような態度に問題があったのではないか。そんないじめ被害にあった人に責任があるという理屈だ。
           







僕自身の体験談だけれど、中一の時、机にカッコイイかな、なんて気楽な気持ちで彫刻刀かなんかで小さなマークを掘っていた。そこに僕をいじめていた人達が悪乗りで僕の机をどんどん削ってしまい、僕の机はボロボロになった。なかなか言い出せなかった当時の僕でも、さすがにこれは辛かったし、学校の物である机を結果的に壊してしまったので、勇気を出して担任の先生に友達に削られボロボロにされたことを報告した。そうしたら「新舛も一緒にふざけていたでしょ」と言われ、もうこの先生に言ってもダメだなと思ったし、心の拠り所みたいなものがどこにも無いんとだ感じた。



篠原さんの話を聞いて、これがまさに被害者責任論だと思ったし、準備会議でも「いじめられた被害者のSOSは黄色信号ではなく赤信号」という事を自分の経験を踏まえて本当にそう思う。僕の場合、この程度で済んだ。小学生の時から軽い、いじめに合っていたけれど、あれってなかなか親や先生、すなわち大人にSOS、何か困ってると言い出せない。これまでなんで言い出せないんだろうと、結構考えていた。やはり大人社会の空気に「いじめられた側は敗者」、「いじめられる弱い人間」、「言いたいことをはっきり言えない人間」という感じで、なんだかカッコ悪いという風に思っていた。
 

 まさに、同じ趣旨を準備会議で篠原さんが語ってくれたことによって腑に落ちたし、ひどく共感した。
           





僕は、もともと小学校6年生の時に一度不登校という経験をしていたので、中学校の教師たちが味方になってくれない。もしこのまま学校にいたら、ひどい、いじめが待っているような気がしていた。そして中二の5月くらいに修学旅行があり、新幹線で秋田方面に行く予定を見事に?腹痛というベタな方法でドタキャンし、その後学校には行けなかった。



なぜなら、僕は乗り物に弱く、酔いやすい。一番の原因はひどいマザコン、親離れできない気質と強烈なホームシックに陥るので両親のいない旅行には行けなかった。今でもこのことは誰にも言ってないけれど。正直そのような事情から、修学旅行後に学校に行くことが出来なかった。いじめっ子から「お前、もしかしてマザコンか?」とか「なんで修学旅行に来なかったんだ」と言われることが恐ろしかった。もうここまで書いたので、白状しますが()、今でも両親がもし1泊して旅行に行かれると少し不安になる。35歳にしてこれはかなり問題というか、情けないですね(苦笑)。



話しが僕の体験になったけど、篠原さんの話しに戻りたい。



二点目は「いじめの解決方法」これは本当に目から鱗だった。いじめ被害者をなんとか救う方法しか頭に無かったけど、篠原さんは「加害生徒がいじめを辞めれば解決する」いう物凄くシンプルで納得する言葉を聞いた。だから加害生徒つまりいじめた側も、もちろん反省してもらう必要はあるけれど、いじめる方にも様々なプレッシャー、例えば、学業であり、部活のスポーツで1番になれ、もしくは加害生徒の家庭環境が悪いのかもしれない。



確かに、人間って生活に満足していたり、心が満たされた状況であれば相手をおとしめようとか、何か嫌な思いをさせようなんて思わないと思う。心が満たされていれば、逆に困った人を救おうとか、友人・知人が困っていれば助けようという発想になる。だから、加害生徒に自分は幸せだなと感じることや、自分は誰かから必要とされているんだ、そのような事を経験するような機会があれば、相手に対して嫌な思いをさせようとか思わないはずだ。



残念だけど、いじめ被害はそう簡単に無くならないと思う。だけど、僕の少ない体験を通して次回秋ごろ開くサミットで本気にいじめ問題と向き合ってゆきたいと思った準備会議だった。