ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

就労支援に嫌悪感を抱く理由

80年代後半、冷戦が終結に向かい、共産主義の終焉と同時に資本主義社会が世界を覆った。
 
 現在、貨幣経済の中で、生きていくためには、どこかで働いて賃金を得るか、起業して収益を得る、ないしはフリーランスで稼ぐ。そういった社会構造がある中で、「ひきこもり」という選択をとらざるを得ない人は、社会から弾かれた形になる。
 
 職場でのいじめ、上司によるパワハラ、長時間勤務などに疲弊し、ひきこもった結果、さらにこうした社会構造によって圧迫される。つまり経済的な自由がない、どこにも所属できない無職という形が、均質性の高い日本では非常に生きづらく、その結果さらに疲弊してしまう。
 
 
 一方でひきこもり状態は、当事者と親の関係に限定されてしまう状況で、地域・日本社会の許容量が狭いこともあり、不幸にも「引き出しや」に依頼せざるをえない状況でもあろう。
 
 
 そういった中で、地域に可能性があると最近感じる。
 
 僕が再三この場で述べている、市民活動「逗子30'sプロジェクト 30代だョ!全員集合!」(以下30's)では、多様な人の集まりだ。それはサラリーマンであったり、フリーランスであったり、自営業者でもある。そういった横並びの中で、「不登校・ひきこもり」である僕がごく自然に参加出来ることの、ありがたさがある。それは、まさにひきこもり就労支援という冨の分配、貧しい人に施すといった上下関係の支援ではなく、フラットな関係が本当に心地よく感じている。
 
 同様に、長年お世話になっている滝田衛さん主催の「子供若者応援団」にも共通していることだ。その場には、当事者の親、塾講師、議員、会社員、ひきこもりが対等な関係を構築した極めて珍しい団体ではなかろうか。
 

 僕が『こども若者応援団』に加入し、どういうわけか6年以上もお世話になり、在籍している。それまで、僕がこども若者応援団に属していた理由は単に、「ひきこもりからの脱却」それだけだった。なぜ心地よいのか、あまり胆力のない?僕がなぜ長く在籍できたのか、長らく考えた事はなかった。
 

 今、思えば、そこは真に多様性のある地域コミュニティーだった。どんな職業でも差別されることも、なく、主催者である滝田さんも含め同じ立ち位置であった。その『子ども若者応援団』 あまりに長く在籍していたものだから、フラットな関係性がごく当然のルーティーンになっていた。
 
 例えば、講演会を開催しても、公務員のAさんは司会、塾講師のBさんは受付、会社員のCさんはパワポの準備、ひきこもりの新舛は最後の言葉を述べる。といった役割のように、そこに「差」はまったく感じなかった。先ほども述べたように就労支援では、冨を得た人が、貧しい人に施す。そういった上下関係であり、社会の在り方に疑問を感じてひきこもったにも関わらず、就労支援は「元に戻す支援」であり、「矯正」されるような違和感を感じざるを得ない。そういった従来の支援に対し、僕は30S‘であったり、子ども若者応援団のフラットな関係がとても好きだ。
 
 従来の就労支援とは一線を画し、フラットな関係を構築してるであろう居場所(自助会)は『ひきこもりUX会議』が全国で展開している「ひきこもり女子会」「ひきこもりcamp」にもいえる。


 UX会議の人が不登校、ひきこもり経験者でもあるといったことで、そこには上下関係もなければ、元に戻す支援≔就労させられる恐れもない。安全な場になっているとアナウンスされ、全国で展開し、非常に評判がいい
 
 
冒頭に話を戻せば、日本を含め世界のほとんどは資本主義社会で、「お金」というものを抜きに生活を送れない現状がある。
 
 そういった意味で、就労はひきこもった人にとって切っては切れない場である。
 
 では、ひきこもった多くの人が嫌悪感を抱く、「引き出しや」や「就労支援」と当事者に評判がいい、女子会、自助会、僕の場合、こども若者応援団、30’s。どこにその違いがあるのか。考察してみたい。

 以下続く

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