ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

ひきこもり解決に必要な視点


僕は、徐々にひきこもりから回復してきた。最近、社会的承認によって回復したと思っていた。

しかし、心のエネルギー(ヒューマンスタジオ代表丸山康彦氏による言葉)が回復したのは、友人や地域の方々、Facebookで交流によって心のエネルギーが満たされたという見方に変わった。
 
 所得を得る事や社会的地位の向上といった社会的成功はもちろん重要だ。しかし、人との関わりは何よりも僕の心のエネルギーを満たしている。
 
 最近も、あちこち出かける機会が増え、一週間で何十人のも友人・知人に出会う。

 フェスティバル、地域コミュニティー、ボランティア活動など参加させてもらい多くの人とごく自然に対話し、交流する。(ひきこもった人間としてごく自然に話せることはなによりも嬉しい)
○世間と当事者の乖離
 
ひきこもりというのは、一般的に経済的な困窮とみられ、だから就労支援が重視される。しかし、僕の個人的な体験で言えば、経済的な困窮よりも「孤立」、つまり対人関係の欠落によって心のエネルギーが欠乏する。
 
 おそらく、ひきこもった経験がないと、こういったことは分からないと思う。
 
 幸運にもひきこもりを開示でき活動できるので、ひきこもりについて話すことも増えた。最も違和感を感じた事は、ひきこもりを経験してない人にとって、ひきこもりとは、学校や会社員における休日という認識だ。

 こういう前提条件があるから、ひきこもりとは「なまけ」という図式が出来上がる。人間は他者のことを主観でみることが多く、お金持ちだから幸せ、ひきこもりだから就労支援が本人のためになる。

 ひきこもりは気楽に休んでる。そういった他者の主観によって偏見や差別が生まれていく。そういった偏見主観に憤りを感じ、ひきこもり発信プロジェクトやこのエッセイで賢明に訴えてきたつもりだ。
 
 しかし、人間は経験しないことは他人事(岩室紳也氏による言葉)というように、自分が経験してないことを理解するには限界がある。
 
 僕を含め多くの人は、自分の経験を軸に他者の話を聞く。だからどれだけ僕や他の当事者が声高に叫んでも、現状はあまりかわらない(もちろんいい方向には向かってる)。
○ひきこもり解決に必要な視点
 
話は、戻って、多くの人達とは違い、ひきこもりという状態を経験していた、している僕として、親以外の他者から認められることは、自分が自分でいいんだという認識をもてる。働いてなくても、ひきこもっていてもOKなんだって。

 特に、5年ほど前、インターネット上で、できた友人なんか、本当にありがたかった。僕を支援の目線でみないし、何でも語り合える友人だった。こういった経験は僕にとって何事にも代えがたい経験だ。
○他者との関わり
 
僕は、講演活動を展開していく中で、親御さんと当事者がどのように向き合えばいいのか、そういったノウハウを伝えてきたつもりだ。

もちろん、子どもと親の関係ほど重要なことはない。しかし、それ以上に家族以外の他者とのコミュニケーションが本当に重要だと感じている。仮に親が10時間話を聞き理解してくれるより、友人の3時間、恋人の30分のほうが、心のエネルギーを回復したというのが僕の経験だ。
 
 そういう意味でも、周囲の人の温かさに触れるたびに、僕は元気になれる。近所で、出会って一言挨拶を交わすだけでも一日が満たされた状況になる。市役所で、福祉会館で地域の居場所で、そういった人達は僕にとって宝物だ。そのような環境のなかで過ごしていることが本当にありがたい。
 
 逆説的に言えば、それほど「ひきこもり」といったレッテルは社会的に負の印象をもった記号であり、ひきこもりを取り巻く周囲の環境は厳しい。
 
○社会環境の課題
 
当然、僕も努力はした。
 
しかし、僕を含めて人は様々な環境のなかで「努力」している。

劣悪な環境の中で成果をだした人は称賛を浴びるだろう。
 
しかし、そういた環境を変えることが重要だと僕は思う。

努力しやすい環境をつくる。再チャレンジできる社会へ。

こうした社会構造が重要ではないだろうか。


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