ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

僕が幸せだと感じる瞬間

○幸せとは?

 

先月幸せとは他者承認×自己承認(byマコなり社長)と書いた。

 また、幸せとは皆さんそれぞれであろう。しばしば、不登校・ひきこもりの人達はひとくくりにされるが、一人として同じ状態の人はいないだろう。

 

 当然、不登校・ひきこもりでは年齢も違う。10歳の不登校の人と、50歳のひきこもりの人の状態や本人の認知はまるで違う。

 

 不登校・ひきこもりの違いについてはまたの機会に書こうと思う。

 

 ここでは、幸せとはなんなのかということに焦点を当てて書いていく。

 

 自己承認×他者承認も幸せに欠かせないファクターであろう。

 

 もう一つ、僕が個人的に考える普遍的な幸せの土台は「適度なお金と良い対人関係さらに、健康」といった三つのファクターだと思う。

○匿名交流の良さ

 

 少し前、配信サイトで交流した際に、「幸せってのは(前述した)の3つだよね~」と言ったらえらく褒めてもらった。

 

 その通りだと、とてもいい言葉だと、メモをしてもらった。

 

 これは僕にとって、とても幸福感をもたらしてくれた。

 

 配信サイト・アプリの良いとこは匿名で参加するために僕がどんな職業なのか、年齢も開示する必要はない。

 

 

 リアルのコミュニケーションにおいて、僕はひきこもりという属性を開示しているので、どうしても、「ひきこもりなのに文章がうまいね!」「ひきこもりなのに頭がいいね!」「ひきこもりなのに講演出来てすごいね」そういった言葉や暗黙の雰囲気を感じる。

 

 しかし、匿名で参加している配信サイト・アプリではそういったことはない。

 

 僕の考える幸せの定義を素直に関心してもらった。

 

 とても嬉しかった。

 

 こうして僕は改めて「他者承認」による充実感を感じた。

 

○正解は自己承認?

 

 アドラー心理学にハマって、また応援団会議でもしばしば、「他者承認」の危うさ、他者承認がいかに依存的であるのか、自由がないのか議論してきた。

 

 本物の幸せを感じるには「他者承認」ではなく「自己承認」であると。確かにその通りかもしれない。

 

 他者承認は、他者が主体なので、他者に振り回される。

 

 他人の機嫌がよく僕を承認してくれたらラッキーだけど、毎回、毎回そうなるとは限らない。

 

 時には否定されることもあるだろう。

 

 また「他者承認」とは、他者から褒めてもらう。

 

 つまり何かしてもらうことに喜びを感じる稚拙な態度かもしれない。

 

 しかし、それでも僕は「他者承認」に喜びを見出す人間だ。

 

○幸せを感じる瞬間

 

不登校になり家族以外の他者と関わらない時期が長く、ひきこもり状態の際は、自信がもてない時代も長かった。

 

 そんな僕だからこそ、人から認められる「他者承認」に人一倍喜びを見出してる。

 

 ひきこもって初めて家族と僕の趣味を語り合えた時、

 

 配信サイトで交流していた大好きな友人と出会えた時、

 

 こども若者応援団主催・滝田さんから通信の編集長を任されたとき、

 

 初めての講演会が思ったよりうまくいったとき、

 

 活動を新聞に掲載してもらったとき、同世代の人とお花見をしたとき、パトロールに参加した時(他多数)、心が震えるような喜びを感じた。

 

 生きててよかったと心の底から思えた。

 

 僕はひきこもり発信プロジェクトを立ち上げ、ひきこもり状態の親御さんに向け色々なお話をさせてもらい、考える機会を頂いた。

 

 ひきこもった人の幸せとは、その人が幸せな状態を応援することだと僕は結論づけた。

 就職することが幸せな人もいる。

 

 美味しいラーメンを食べる時が何よりも幸せだと思う人もいる。

 

 そして、僕は「他者承認」だ。

 

 どうしても人間は主観で生きてるので自分の幸せは相手も幸せだと錯覚するし、共感してほしいと思う。

○他者承認と幸せ

 

 とにかく僕の幸せは「他者承認」だと書きたかった。

 

 それは働いてる人でも、好きな人に好かれたいと思うだろうし、昇給や昇進という社会的な承認を求めて努力する人もいるだろう。

 

 程度の差こそあれ、「他者承認」の喜びは皆あるのではないか。

 

 一方で過度の「承認欲求」は依存と自由を奪われる。

 

 あくまで適度な承認欲求が重要だと僕は考える。