ひきこもったまま幸せになれるのか?
○ひきこもりの構造
ひきこもり問題を構造的に分析すると、一つは資本主義社会による生産性の問題。
つまり経済、お金の問題。
もう一つは日本にある高い均質性、同調圧力、つまり「世間体」。
大きく分けるとこの二つの問題に収斂される。(付け加えれば「健康」の問題もあるだろう)
僕はひきこもりとは生き方の一つであると再三再四述べてきた。
○幸せになる支援
近年ひきこもりUX会議代表理事林恭子氏による「幸せになる支援」という従来の「就労支援」とは異なる支援方法が提唱されている。
幸せという言葉はあまりにも抽象的なので、僕なりに定義をいくつか述べていこうと思う。
○幸せの5つの定義
1つ目は「社会的承認」ノーベル賞を受賞したり、オリンピックで金メダルを取る。
身近な例で言えば、学生なら好成績、社会人なら昇給や昇進だろう。
そういった自己成長と他者承認が交わった「社会的承認」が幸せの1つであろう。
2つ目は、「健康、生活に困らないお金、よりよい対人関係」三つが組み合わさったパターン。これも三つが満たされると幸せになれるのではないか。
3つ目は、「ポジティブな変化」ひきポス常連の佐藤学氏による提案だ。
アパートからマンションに引っ越した時、アルバイトから正社員になった時、結婚した時他、このような状態は確かに幸せだと思う。
4つ目は、「足るを知る」現状に感謝して生きるということだ。
災害なく一日無事に過ごせたことを感謝する。
ポジティブな事は何もなくても、ネガティブな状態でないことに感謝する。
なかなか実現は難しいが「足るを知る」を実現できれば幸せになれるだろう。
5つ目は「他者貢献」これは仕事やボランティアを等、他者に与える行為。
よく自己啓発本に書かれている。
巨万の冨を得た人の多くが、それでも働く理由は「他者貢献」ではないだろうか。
以上僕が考えたり学んだ幸せの定義5選だ。
こう考えると、ひきこもり状態のまま幸せになれるのは4つ目の「足るを知る」という状態だと思う。
しかし、なかなか孤立しひきこもった状態で幸せを感じることは難しいのではないか。
一方で、就労、経済的な自立をしないと「幸せ」になれないのかという問いにはイエスでもあるしノーでもある。
○資本主義とひきこもり
冒頭に書いたように、この世は「資本主義」だ。
つまり「お金」がないと生きていけない。なので、現状では働いて稼ぐか、親に援助してもらうか、社会保障という選択肢しかない。
さらに、資本主義であるという事実は人間に生産性を求める社会でもある。
少ない努力で多く稼ぐ人が勝者ということだ。
資本主義という世の中の仕組みがあるので、どうしても「就労支援」一辺倒になるのも理解できるし、生鮮性がない行為は社会的な承認を得にくい。
例えば、僕が一日中マンガを読む行為と、一日中バイトをしていたら、どちらが承認されるのか。
それは、「バイト」だ。自分でも、マンガを読む行為とバイトが出来た行為を比較したら、圧倒的に「バイト」をしたほうが自信にもなるし、納得感があるだろう。
それがまさに、資本主義≔生産性の求める世の中だ。
そういった社会構造があるなかで、ひきこもったまま幸せになれるのかと言えば、かなり難しいのではないか。
○就労以外の幸せとは?
現在、僕は当事者活動・講演型「ひきこもり発信プロジェクト」を展開している。
まったく収益にならないボランティア活動だ。
しかし、僕はこの活動を心から幸せだと感じて行っている。
理由は二つ「講演」という活動が「社会的承認」を得られる。
もう一つは不登校・ひきこもり経験がプラスに働く活動だから。
さらに「他者貢献」もできる。
そう、働かなくても幸せに近づく活動の一つだ。
人は誰しも承認してほしい。
つまり認められたい。
また、自分が頑張った分の見返りがほしい。
そういった本能に不登校・ひきこもり経験者が当事者活動を行うのはもってこいだ。
社会的承認が得られ、不登校・ひきこもり経験がプラスに働く活動。
全国で当事者活動家の皆さんが徐々に増えてるのはこういった背景があるからだろう。
また当事者活動が活発になるだけ世間の「不登校、ひきこもり」理解が進んだという証でもあろう。
僕は当事者活動によって「幸せに」に一歩前進した。
しかし、繰り返すがこの世は「資本主義」お金がないと生きていけない。
当然、権利としての社会保障はあるが、日本では社会保障の恩恵を受けられるのはわずかな人だ。
そういった社会構造がある以上、巨万の富がある方々以外は働くことから逃れられない。
○キャリアを問われない働き方
従来の働き方は、どこかに勤める方法。
つまり、「学歴」や「職歴」を問われる働き方だ。
ここ数年「副業」でインターネットビジネスを展開する人が増えた。
僕はここに可能性があると信じている。本業を終えたわずかな時間を割いて行う「副業」。
時間に余裕がある人達がインターネットビジネスを行えばある程度稼げるのではないかと思っている。(了)