ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

幸せになる土台とは~ひきこもりは生き方なのか~ 連載No71

○最強の生きるノウハウ

 

先月、著者のマイブームに「マコなり社長」の動画を見るのが好きと記載した。

 

若干30歳。

 

 日本最大級のプログラミングスクールの社長の真子就有(まこゆきなり)さんのよりよく生きるためのノウハウが詰まった動画だ。

 

 

 時間を有効に使うアイテムの紹介やご自身の経験から人生を変えるノウハウが詰まった今、最も有益な動画だと僕は思っている。

 

 

 

○ついに幸せの定義発見

 

 そんなの動画のなかで、マコなり社長が思う幸せの定義を述べられてる場面があった。

 

 マコなり社長が考える幸せとは、「承認実感度」だそうだ。わかりやすく言えば、他者承認と自己承認を組み合わせの事。

 

 先月も書いたが、僕は幸せについて考え続け、また「ひきこもり」にも考え続けてきた。

 承認実感度がそのまますべての幸せかどうか僕にはわからないが、幸せの土台になると確信した。

 

 もう少しわかりやすく例え話を用いて述べていこう。

 

 他者承認とは文字通り他者、他人から承認してもらえることだ。

 

 人から認めてもらうとは、単に褒めてもらえるだけではない。

 

 他者があなたの事を「友人・知人」として認めることや、パートナーとして認めること。

 

 また、誰かから大切に思ってもらえることだと思う。

 

 他者承認と近い言葉に社会的承認がある。

 

 例えば、学校でいい成績をとった。

 

 会社で出世した。

 

 ノーベル賞やオリンピックでメダルを取ることではないだろうか。

 

 そしてそういった社会的承認とは自己承認を伴うと僕は考える。

 

 自己承認とは自分自身で自分を認めることであり、それは過去の自分と比較して成長すること、自分が目標とした自分になれることだと僕は思う。

 

 そういった「自己承認」と「他者承認」を組み合わせの土台の一例がまさに、「社会的承認」ではないだろうか。

 

 ここまでみると、世の中の幸せをわかりやすく言語化したのが他者承認と自己承認を組み合わせた「承認実感度」というのが分かっていただけたのではないだろうか。

 

 

 好きな人とパートナーになれたり、社会的な成功を収める。

 

 非常にわかりやすい構図だ。中には誰ともつながらずとも、社会的な成功を修めずとも幸せになれる人がいるのかもしれない。

 

 しかしそういった人も一度はパートナーに恵まれたり、一度は社会的な成功を収めた事があるのではないだろうか。

 

 

 僕自身、孤立したひきこもりから脱し、最も嬉しかったのが、他者承認であり社会的承認であると感じた。

 

 友人が出来たり、滝田さんから通信の編集長を任せて頂いたり、講演会で話す機会、そしてマスコミに取り上げて頂いたとき。

 

 そういった他者承認と社会的承認によって間違いなく回復した。

 

 友人が出来た時、編集長になった時、新聞に掲載していただいた時、筆舌に尽くせない喜びを全身で感じた。

 

 望外の喜びと表現したらいいのか。

 

 生きててよかったと表現したらいいのか。言葉には言い表せない喜びがあった。そういった経験をたくさんさせていただき今の僕がある。

 だから、「ひきこもり発信プロジェクト」を立ち上げ毎月活動出来るのだろうと思う。

 ○承認なしに幸せになれない 

 

 ひきこもり発信プロジェクトやマスコミを通じて僕は、ひきこもりは「生き方」であると再三再四述べてきた。

 

 ひきこもり状態は他者に迷惑をかけておらず問題ない「生き方」であると。

 

 しかし前述したように「承認実感度」によって幸せの土台があるという前提に立てば、ひきこもり、孤立したまま、幸せになれない。

 

 ということはひきこもりを生き方と言えるのだろうか。

 

 僕にも家族以外の対人関係がない状態の際、何を求めていたのかと思い出してみても、それは人とのつながりだった。

 

 自分が思ったやりたいこと、やりたかったことができない状態が長期にわかって継続し、不登校から脱し中堅大学ですら満足できない僕がひきこもり状態の際在籍した学校は誰でも入学できる全く名もない通信制の学校。

 

 その学校ですら卒業まで11年もかかってしまった。

 

 そういった苦悩を誰かに分かってほしい、当初そういった欲求は家族に向かった。

 

 しかしそれ以上に、家族以外の誰かに承認してほしかった。

 

 つまり、対人関係の空白が長く人に理解してもらいづらい苦悩を長く抱えた僕は承認欲求が強くなった。

 

 だから、人に承認してもらったときは、心が震えるほどの喜びがある。

 

 そういった経験が多数あるから、今の僕は「ひきこもりは生き方」と言えるのかもしれない。

 

 ここ7年ほど人に恵まれ、多くの友人に苦しいときに何度も支えてもらった(つまり他者承認)。

 

 そういった経験なしに僕は幸せになれたのだろうか。答えは、ノーだ。やはり、幸せの土台は「承認実感度」つまり他者承認と自己承認を組み合わせたものだと言わざるを得ない。

 

 

 ひきこもったまま幸せになることは難しく、人と繋がること、特に理解者と繋がることは僕の経験をもって何よりも重要だと考える。

 

 当然自分で自分を認める自己承認と組み合わせてこそ幸せの土台になるのだが、なかなかどうしてひきこもってから20年弱、努力しても自分が考える理想には近づかない。

 

 もちろん当事者活動は不登校・ひきこもりがそのまま資産になるので引き続き継続するが、まだまだ僕にはやらなければならない課題や目標がある。

 

 一歩外に出れば、笑顔で迎えてくれる友人やインターネットで関わる人のエネルギーから僕は一歩先へ進みたいと思う。