ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

自信とひきこもり

 僕が不登校・ひきこもり受容できた理由を考えていた。

 

 この世は資本主義であり、お金や、お金と結びつく偏差値。

 

 それらを基準とした社会的成功という文脈が多くの人の意識下にあるほど、この世界に根付いてる。

 

 

 そして常識を超える社会規範であろう。

 

 そういった社会的成功へ向けての「支援」が現在行われているのが就労支援であり、学校復帰である。

 このような価値観に僕はずっと苦しんでいた。

 

 不登校になった当初は、もはやそういった社会的成功など、僕にできるはずもない。

 

 そんな資格すらない。

 

 そう思っていた。

 

 それは僕が不登校になったからではない。

 

 あくまで不登校というきっかけであって、

 

 学校というコミュニティに属している間、常に劣等感に苛まれていた。

 

 

 社会的成功者は言う「私は負けず嫌いなんです」この言葉は特にスポーツで成績を修めた人にとっては常套句だ。

 

 

 一見正しいように聞こえるが、本当に負けず嫌いの人はどうするか。

 

 

 「勝ち」「負け」がはっきりしたスポーツという世界において、負けない選択肢はただ一つ、勝負そのものに参加しないことだ。

 

 イチローでも中田でも白鵬でも負けるときは負ける。

○学校教育における劣等生

 

一方、学校社会に身を置くと、どういう思考になるのか。

 

 まず、成績という基準でヒエラルキー(序列)が出来る。

 

 次に、クラスカーストと言われるクラス内のヒエラルキーが存在する。

 

 最後はスポーツだろうか。

 

 そんな3つの基準で一つでも優位性を担保できない人達は無条件に自信を無くす仕組みになっている。

 

 僕は3つどれも劣等生だった。

 

 さらに、当時流行っていた「ゲーム」においても、僕はまったく出来なかった。

 

 何をやってもできないので、もう、何をやろうとか、モチベーションという言葉さえ自分の中に全くなかった。

 

 勉強、コミュニケーション、スポーツ、ゲームどれをやってもダメだから、仕方なく、年下の弟の友人たちと遊び、その中で自分の優位性を担保し、かろうじて、生きる活力を保っていた。

 

 当時、僕は親にサッカーをやらされていた。

 

 小学校三年生の僕が、たった一人だけ二年生と混じって1年間サッカーをやる羽目になったのだけど、その事実に悔しいとか、歯がゆいと思う気持ちさえなかった。

 

 幼い時期に自信を無くすと何をやるにも「どーせむりだから」という気持ちが常に内在化し、もはや、挑戦するという発想すら起きなかった。

 

 そういう背景があった僕が、不登校になっても、そんなに、気持ちが変化することがなかった。

 

 当然落ち込んだけれど、もともと僕は学校といった評価基準のなかで、「底辺」だったのだ。

 

 だから取りたたえて絶望感が深まることもなく、自分自身をこんなものだと考えた。

 

 

 その後、学校教育のヒエラルキーから抜けだしたことで、比較的エネルギーが回復したので唯一得意だった算数・数学でなにか成果がでるかもしれないとふと思った。

 

 そこで、僕は、通信教育の学習をした。

 

 たしか、15歳の時、中一の問題に戻って学習をした。

 

 もともと、公文教室に通っていた僕は、算数が唯一出来ていた。

 

 そのせいもあって中学校でも数学だけは多少自信があった。 

 

 その延長線上で通信教育を二年遡って学習するのだから、満点は当然だったのかもしれない。

 

 それは自分が主体的に取り組んだ学習において生まれて初めて社会的成果をだした瞬間だった。

 

 そして、好成績は継続した。

 

 そして、僕は政治・経済に目覚め、自動車学校においても高い成績によって評価され、そういった自信をもった後に、高校に進学し、大学合格した。

 

 しかし、大学の風土が合わない、勉強を目的に入学したのが馬鹿らしくなるほど騒がしい教室。

 

 そして、往復4時間という長距離。

 

 さらに、同世代とコミュニケーションをとってなかった事もあり22歳でひきこもりになった。

○成功体験とひきこもり

 

 僕が不登校を脱した経験は自信になったとは別次元の出来事だった。

 

 学校教育のなかで全く成果が出ず、自信やモチベーションが体から抜け落ちるほどの欠落から、不登校になり、学校制度から離れ主体的に学習した結果、社会的成果がでた。

 

 本当に充実した10代後半~22歳だった。

 

 

 そうした努力が沫と消えたひきこもり生活において、どうやって、社会的に価値がない象徴のような「ひきこもり」を受け入れるのか。

 

 自信をもってしまった僕にとってこれ以上の難問はなかった。

 

 

 長くなるので省略するが、難問を解決した決定的な出来事は二つ。

 

 一つは最初のひきこもり支援の場、『遊悠楽舎』との相性が良かったこと。

 

 二つ目に、『アンガージュマンよこすか』というフリースペースが心地よかった。

○資本主義と居場所

 

 最近、講演型の当事者活動するなかで、参加してくださった人に、僕の想いがどうやったら伝わるのか、試行錯誤している。

 

 今の僕は相手を変えようとしていた。これがいまいち僕の想いが伝わらない原因だと現時点で結論づけた。

 

 振り返って『アンガージュマンよこすか』において、ぼくはひきこもり受容ができた要因を考えていた。

 

 

 当時は、他の場を知らなかったので、『アンガージュマンよこすか』の良さはあまりよくわからなかった。

 

 しかし、とにもかくにも心地よかったのだ。

 

 今考えると、『アンガージュマンよこすか』のスタッフの皆さんが、僕を変えようとしなかったからだ。

 

 僕が何かやろう、つまり就労や社会的成功へ努力するようなそぶりを見せても、スタッフの皆さんは一喜一憂しなかった。

 

 今、考えたらそれは、驚くべき事実だ。

 

 資本主義の世の中で生きていれば、多くの人は、お金を象徴としたヒエラルキーに程度問題こそあれ、共通認識をもっているであろう。

 

 その認識に立てば、僕は動いたほうが、稼げるだろうし、ボランティア活動も就労の「前段階」としてとらえられる。

 

 僕が『アンガージュマンよこすか』に居て、そういった資本主義の文脈を全く感じなかった。

 

 ひきこもりになると、自意識過剰になり、自分はどうみられるのか、そればかり気にするようになる。

 

 そういった僕だから、今でも他者が僕の事をどう見ているのかよくわかるし、想像もつく。

 

 

 繰り返しになるが、驚くほどに、『アンガージュマンよこすか』では、就労をゴールとした支援の空気がなかった。

 

 だから僕はひきこもりを受容できた。

 

 全く不思議で心地よい場だった。

 

 承認欲求が強い僕にとって物足りない面もあったが(ごめんなさい)それでも今の僕がひきこもりを受容し当事者活動が出来ているのは、間違いなく『アンガージュマンよこすか』という資本主義の文脈で僕を見ない。そういう経験があったからだ。