ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No49「不登校・ひきこもりは社会の問題」2018年2月1日

〇親の本音
(子どもが働くのを)「いつまで待てばいいんだ」。これは昨年6月リロードひきこもり親の会で、ある親による発言だ。僕には「親が死んでから生きていく覚悟はあるのか」と問われ、「無い」と正直に答えた。

〇親自身を苦しめる言動とは
34日林恭子さんを招き、ひきこもり講演会を開くにあたり、来場者が講演会に来てよかったと思ってもらえる講演にしたいと考えている。その過程で、冒頭の言葉を思い出した。親の死後、経済的に困窮することは明白であり、事実を突きつけられ、途方に暮れている当事者に追い打ちをかけた言葉だ。
 
 No44で書いたように親のそういった欲望は親自身を苦しめる結果になる。
 
 例えば、ひきこもっている子どもがどこか外に出ればつかの間に喜びはあるだろう。しかし、毎日外出すれば、次は対人関係を求め、次第に就労を要求するだろう。どういう状態でも満足できず結局、親自身を苦しめることになる。
 
 働いている人の親が「いつまでも親は生きてない」と子どもに向かって説教している様子をTVで見た。
 
 働いているんだから親の死後心配ないだろうと僕は考えたが、その親は「親が死んだら心配してくれる人がいない」というのだ。結婚をしないと何か災難があったときに守ってくれる人はいない。なるほど、そういった言い分もわからなくはないが、親はどこまでも子供に期待する。だから親子関係における問題はひきこもりに限らずどこの家庭でもあるのだ。一方、ひきこもりの人達は、親と共に暮らさなければならない。その上、働いている人とは違い、社会的な承認もなく、自己承認も難しいだろう。そういった状況で親から否定されるのはとても辛い。だから子どもにプレッシャーをかける親は敵であり、世の中の親は憎むべき存在だった。
 
 しかし、不登校の親が学校復帰を望み、ひきこもりの親が就職を望むことは間違ったことを言っているのか。現状ではこのような選択肢しかないのが間違っているのではないか。学校以外、家庭でも、地域でもどこでも学習の機会が均等にあるべきだし、それは対人関係も同じだ。そうなれば親は学校復帰をことさらに主張しないだろう。ひきこもりも同様に就職以外に生きる術があればいつになったら働くんだと言わずに済む。
 
 このように考えたら、当事者とその親は社会の犠牲者、被害者といえる。学校に行くしかない現在の制度があるから「不登校」と言われ、働く事以外に選択肢がないから「ひきこもり」と呼ばれるのだ。これは社会の問題であるはずなのに個人を責めるのは間違っているのではないかと気が付いた。(個人の問題ではなく、社会の問題という発想は昨年講演会にいらした岩室紳也氏から学んだものだ)

〇機会均等社会への提言
僕は今、偶然滝田さんに出会い、こうして書く、講演することができている。それもおかしな話で、誰もが希望すれば講演、執筆活動が出来なければならない。それに僕は今でこそ講演活動はかなり好きだが、滝田さんと出会う前は人前で話すなんて興味もなければ、講演とは著名人がすることであり、別の世界の出来事だと思っていた。それがこども若者応援団主催講演会において最後の言葉を述べる機会が数回、応援団会議で話す機会が毎月あり、そういった経験を通して、講演が好きと言えるようになった。昨年いじめ不登校解決市民サミットの宣伝で横須賀のローカルFMに招かれ、出演した際も緊張しっぱなしだった。しかし、1度経験したら、もう一度やってみたいと切実に思った。このように経験してみたら案外楽しい、向いているんじゃないかということが分かった。だから、どの仕事でも、30分からボランティアで体験できる機会があればどの仕事が向いている、向いてないがわかるのではないか。僕の場合極めて疲れやすい、さらに働いた経験がないから、このような体験は必要になる。あくまでボランティアと提案したのは、以前僕が福祉作業所に見学に行った際100円以下の時給を提示されたからだ。もちろん少しでもお金を稼ぐに越したことはないが、あまりに安いと思う。この金額で仕事を引き受けたら僕の価値は最低賃金のおおよそ9分の1。あなたは普通の人の価値すらない。9分の1と言われていると感じたためだ。だから個人的にはボランティアのほうが気分はいい。
 
 そういった体験が手軽にでき、自分のやりたい仕事を見つけ、さらに1週間に30分から働ける選択肢があれば、まったく働いたことのない僕でも講演会同様にやりたい仕事がみつかるのではないか。もちろんこのような発想は現在働く以外に生きていく道がない現在の制度の元での提案だ。生活保護という道もあるのはあるが、それは負の印象をもった制度であり、切羽詰まった状況でないと申請できない。ならば、憲法25条の文化的な生活を保障するためにも、すべての個人に一律にお金を支給するベーシックインカムの制度を早急に法整備すべきではないか。誰もが後ろめたさを感じることなく税金をもらい生きていく。それがひきこもりの解決になり、不登校で悩んでいる人たちの希望にもなる。
 
 こうした提案はすぐ実現できるものではないが、以前より不登校、ひきこもりの生きやすさは改善してきているので、引き続き発信していく。