ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

誰にも言えなかった辛い過去~市民団体を立ち上げた理由~

僕の父親は精神疾患だった。僕が不登校になり高校進学せず在宅学習をしていたおおよそ20年前。父親が精神疾患を患い、様々な問題や課題を抱えていた。父は、母に当たることでかろうじて精神状態を保っており、子どもの立場としてそんな両親を見るのは辛かった。



現在、比較的精神科や精神疾患に対する世間のイメージが少しは良いほうに代わってきたが、おおよそ20年前、精神疾患に対する世間の風は強かった。そういった背景から、僕は家族以外、唯一関わっていた家庭教師にさえ打ち明けることが出来なかった。その後、鎌倉市長谷にある塾に通うのだが、そこでも不登校だった事は受けいれてもらったけど、父親が精神疾患で薬を服用していることはとても言えない雰囲気、空気だったので、誰にもその事実は話せなかった。


〇講演会であえて醜態をさらした理由

34日『ひきこもりUX会議』代表理事林恭子さんを招いた講演会で、僕は自己紹介の際「母親がいないと不安になる」そんな話をした。唐突だったし、その事実のみを言ってたので、なぜ僕がわざわざ恥をさらすことを言ったのか真意が伝わらなかったと思う。おそらくひきこもっていると、当時者や親が世間の恥と思っていること、例えば、家庭内暴力、ゲームばかりやってる、赤ちゃん返り、昼夜逆転不登校・ひきこもりという事実など「こんなことはとても言えない」というようなことを抱えているのではないかと想像したためだ。当事者や家族が抱えている悩みを否定されるかもしれないから誰にも言えない、そんな状況はとても辛いし、社会的孤立が深くなるのは明白だ。孤立から絶望し息子や娘を数百万という最後のたくわえを使い「引き出しや」に依頼するかもしれない。だから僕はあえて家庭内で起こっている秘密をつまびらかにした。そのことで、会場にいた不登校・ひきこもりの親御さん、当事者・経験者が今抱えている悩みを誰かに話せるきっかけになればと思った。
 

〇もう一度生きるようと思えたきっかけ

 現在僕が、関わっている誰もが参加できるフリースペース「ウエルカムティーパーティ(逗子福祉会館最終土曜(14時~16時)」において、年を重ねたゲストスピーカーのお話に、一人で入院するのは辛かった。子どもの時、学校行事の旅行でもホームシックになった。その話に僕は心を打たれ、ホームシックになるのは僕だけではない、そういった事実に心から安堵した。また、ヒューマンスタジオ代表丸山康彦氏の本『不登校・ひきこもりが終わるとき』に、高校を留年した丸山氏が、母親の睡眠時間を減らし、話をきいてもらった。その記述に同じく安堵した。その事実で僕は前を向くエネルギーをもらった。

そして、僕が社会に少しずつ出た時、ネットの友人であったり、こども若者応援団の仲間、先月号にも書いた30‘sの仲間がマイノリティな生き方をしてきた僕を決して否定しなかった。だからこうして、再び社会に戻り充実した日々を楽しんでる。
 
不登校・ひきこもり体験を開示できる地域社会へ

冒頭に書いた10代のころ誰にも言えなかった「父親の精神疾患」は今思い出しても辛い。その時、もし、一人でもいいから話を聞いてもらえたら、もし、受け入れてくれたら、どれだけ気持ちが楽になったか。そういう人がいたら僕の人生はきっと変わっていただろう。だから僕は地元逗子で市民活動「ひきこもり発信プロジェクト」を始めた。不登校・ひきこもり体験を文章ではなく生きた言葉で発信し、現在不登校・ひきこもり当事者・経験者もしくは親御さんに僕・私だけがつらい経験をしているんじゃない。不登校・ひきこもり体験を開示できる地域社会にしていきたい。もちろん、そんな事は簡単ではないだろう。だが、僕の個人的な話が誰かの力になればそれは幸せだ。
「引き出しや」とはひきこもりを強制的に引き出すことを代行する商売