ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

人類の最も難しい課題~普遍的心理を求めて~

○完璧な理論より大事な事

 

人間は感情で動く。最近気が付いた新しい視点だ。

ひきこもり発信プロジェクト(逗子こども若者応援団)を毎月やらせてもらって、どうしたら僕の話を聞いてもらえるか考え続けてきた。

 

 

当然の結論かもしれないが、何を言うかより、誰が言うかのほうが重要なのだ。

 

 

どんな素晴らしいセオリー(理論)をもってしても、その人自身が法的、倫理的に正しい行いがないと、説得力に欠ける。

 

 

そんなこともわからなかったのかと言われれば、その通りとしか答えることができない。

 

何か発信する人は、日常の行いが何よりも重要だ。

○普遍的真理は存在しない

 

そこで、正しい行いとは何なのか。

 

目を見て挨拶することなのか。

 

食事をする前にいただきますと言う事なのか。

 

作ってもらった食事は残さず食べることなのか。

 

こういった事は国、時代によっても異なる。

 

つまり、正しい行い、考えなど存在しないのだ。

 

僕は、不登校・ひきこもりという社会から弾かれた存在になって以来、アイデンティティを求め、また、どうしたら社会と折り合いをつけていくのか考え続けてきた。

 

 

また、算数や数学が得意だった僕だから、どこかに、正解・真理が必ずあると思って読書やインターネット、友人との議論を通して考えてきた。

 

そして現在の結論は普遍的真理など、どこにも存在しないということだ。もっと言えば、人それぞれの経験則や住んでいる国や地域、時代によって人の数だけ「真理」があるということだ。

 

前述したように僕は、絶対的真理がこの世にあると信じて探し続けていた。

 

だから、ある程度知識がある領域では、「自分のほうが他者より正しいはずだ」という思い上がりがあった。

 

例えば、不登校・ひきこもった人には、本人の主体性を尊重することが何よりも正しいと思っていた。

 

しかし、それが全て正しいとは限らない。

 

それは、働きたくても働けないひきこもりと働かないニートと呼ばれる人に線引きが出来ないことからわかるように。

 

 

つい数十年まえでは、スポーツの世界では「暴力」で指導するということも、一つのやり方として確立されていた。

 

暴力によって勝者になった指導者は称賛されていた時代もあった。

 

 

このように「真理」は時代によって、国によって、人によって異なる。

 

 

そして冒頭に書いたように人間はロジックや真理ではなく、感情によって動くという事は、僕の発見だった。

 

 

正しいロジックがあるからこの人の話を聞こうと思う場合もある。

 

一方で、好きな人が言うから、後付けでロジックを構築する場合も少なくないのではないか。

 

僕はどうやら白黒はっきりつけたがる性格で、相性のいい人のセオリーは盲目的に信じてしまうこともあった。

 

逆に、相性が合わない、どうもやりづらいという人の意見は全否定に陥りがちだ。

 

こういった思考パターンをもつのは僕だけだろうか、多くの人もこういった傾向になるのではないだろうか。

 

ということは「信頼」や「信用」といったことが対人関係や話を聞いてもらうには何よりも重要なのかもしれない。

 

そして、相手から「信頼」や「信用」を得るには「聞き力」である程度解決できると僕は思う。

○本質的欲求とは

 

人は自分の話を聞いてほしい欲求、話を聞いて承認してほしい、共感してほしい。

 

それは人間の本質的な欲求ではないか。

 

当然、人によって欲求の程度は異なると思うが、話を聞いてほしいというのは大方の人に当てはまると思う。

 

一方で、信頼関係や信用を築くことは、こちらだけの努力ではどうしようもない。

 

いくら相手の話を聞いても、相手が僕のことを信用するかどうかは、相手が決めることで、こちらがコントロールできない。

 

馬を水辺に運べるが、馬に水を飲ますことができないといった理論だ。

 

こうした対人関係のセオリーは、教育、上司部下、恋愛、親子関係全てにあてはまり、人類の最も難しい課題なのかもしれない。