ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No31「世界1不幸だと思っていた~友人との対話の中で~」

最近病み友と話す機会が増えた。病み友って言葉を僕も初めて聞いたけど要は僕と同じ精神病を抱えた友達だ。
 
 病名こそ違えけれど、お互い精神病なので共通点についてよく話している。「もし病気が完治するならいくら出す?」とか「体調に波があって嫌になるよね」、「体調が悪いとネガティブになり人の言葉も素直に受け取れない」そんな話をしていた。1番よく話してたことはこの手の病気の最大の特徴といってもいいかもしれない。「元気そうに見える」これだ。元気な時にしか人と関われないことが原因だろう。だから、我々のような病気や障害に理解がないのかなとしばしば思う。よく友人が「元気に見える」と言う人に対して「かわってやろうか?()」と言ってやりたい。なんて冗談半分で話してた。僕も最近ではこうして毎月エッセイを書き、こども若者応援団主催の講演会で少し話したり3月サミット準備会の際は体調がすごく良かったので名刺をたっぷり用意し、多くの人と名刺交換をした。だから、元気そうに見えて当然だと思う。
 
 あまり良い気分はしない。僕も友人同様に「かわってやろうか?」なーんて思うこともしばしばある。
          


ここ4年くらい、少ないリア友(出会ったことがある友人)と配信サイトを介して多くの友人とつながり、日々自宅でコミュニケーションを図っており、たくさんの話を聞いてきた。


僕が配信サイトを始めるまでは、僕は世界1不幸だと半ば本気で思っていた。百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、苦しい時期にTVや雑誌、本、新聞、ラジオでいろいろな人の意見を聞いていたつもりでいた。もちろん、小児癌で苦しんでる子ども、白血病を患い若くして亡くなった人、親の虐待を受け苦しんでいる人、学校に行ってるけどひどいいじめにあいどこにも相談場所がなくラジオのお悩み相談に電話している人、様々な問題を抱える人々がいた。


それでも僕は世界で1番不幸だと思っていた。


その後SNSや配信サイトで多くの人とつながり知人ができ友人ができた。それで、不意に「実は父親を亡くしてるんだよ」別の人は「母親を亡くした」「母子家庭で育ててくれた母に感謝する」「所持金が数十円しかない」こんな感じで友人が話すと僕はそれほど不幸ではないんだなと文字通り実感した。


最近読んだ本で「不幸は向こうから来ない」なんて言葉があった。その本によれば、例えば、病気になったことは、「病気になった」という事実であり、「不幸」というものが体にどこかに入ったわけではないと。また、災害が起きても、「災害が起きた」という事実であり、同様に不幸な出来ごとが起きたわけではないと。


僕は苦しみから逃げるように自己啓発本を読んできたけれど、「不幸は向こうから来ない」これはものすごく納得した。要は物事とらえ方次第ってこと。
        


以前、配信サイトで頻繁に交流しており、また僕が困ったときに相談に乗ってもらい何度も救ってもらった友人の親が癌になり、親の家業を仕方なく継がないといけない状況にあった。そのときでも彼に聞いたら、「まー仕方ないや」って感じであまり悩んでない感じだった。別の人は癌になってもあっけらかんとしていたし。もし、僕が同じ状況だったら絶対に耐えきれないだろうし、なんで自分がこんな不幸な目に合わなきゃいけないんだ、と憤りを感じおそらく悲劇のヒロインならぬヒーローを演じ周囲に八つ当たりをするだろう。これがまさに「不幸は向こうから来ない」って事ではないか。
          


そんな経験を通して世界で1番不幸だと思っていた僕だけど、寝食を共にできる家族がおり、毎日お昼まで寝ている僕に家族が特に何も言わないそのような当たり前だと思っていた環境が恵まれていることに気が付いた。


それに最近では苦しいとき愚痴を言える友人がいるし、配信サイトでも多くの人とつながりがあり日々がとても楽しい。もちろん良いことばかりではなく、特に僕の場合友人と呼べる人がいなかった時期が20年ほどあり、対人関係に弱い。だからいまだに承認欲求が強く慣れないこともあり気疲れする。


それでもこうして35年生きてきて、親のおかげで経済的に困窮することはないし、それなりに幸せな人生ではないかと思えるようになった。