ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No25「高齢化するひきこもりと私~ひきこもり当事者のドキュメントをみて~」 2016年1月1日

数ヶ月前ひきこもり状態にある人の密着ドキュメントをTVで見た。彼は43歳で、中学校の時期にいじめにあい、そこから27年間ひきこもっていた。TVカメラが半年かけてようやく家に入ると、床が隠れるほどの本と雑誌の山。そんなマンションの1室で母親と共に暮らしていた。母親は悩みに悩み、こんなにもひきこもり状態がこじれるとは思ってなかったと、ため息交じりで話していた。以外と言っては失礼かもしれないがTVカメラが入ったせいなのか43歳の彼は見た目はどこにでもいる青年で穏やかな風貌だった。ひきこもりにあるようには到底思えなかった。だが、番組を見るにつれ、彼の27年間の空白には埋めがたいことが数多くあると思った。



先程も書いたように部屋が本と雑誌の山なので、食事をするテーブルにまでそれらは積みあがっていた。なので食事をするたびに本・雑誌を別の部屋に移してやっと一人が食事できるスペースを確保して食事をとっていた。その工程に約15分間、彼は疲れ切っていたし、母親も、食事できるスペースくらい確保して欲しいと、言っていた。その彼が片づけたいといい、そのために本棚を買いに行くのだけど、長い長いひきこもり生活にあったので外に出ることにためらっていた。また人の目が怖いらしく人めをはばかり、裏口のような場所からこっそり母親の車に乗り込んでいた。その後、彼はホームセンターへ行けた。しかし、ホームセンターは彼にとって43年間の人生で初めてだったらしい。ようやく二つ本棚を選びレジへ向い、母親が会計を済ませ彼はカートに乗った本棚を運んでいた。精一杯の努力のようだった。その後、部屋に帰り買ってきた本棚を使い片付いた部屋に母親は「床が見えた!」と喜んでいた。その後、母親が懸命に県外のフリースペースのような場所に彼と行ったり、彼が中学から得意としていたマラソンに挑戦し、最後は一人でPCを買いに行き初めてメールが出来たという場面で番組は終わった。



僕自身は日頃から常々「20年間にわたる対人関係のブランク」があるからこの先どうしようもないと母親や友人に愚痴っているけれど、それ以上にブランクのある人がいるんだ。というのがまず思った。挑戦したマラソンを完走し、最後は一人で買い物に行けた彼は一見成長したような感じでTVの構成は作ってあったけれど、僕はどうも納得がいかなかった。



なぜなら、「一人で買い物に行けた事実」は確かに彼にとって成長したのだろうと思う。しかしそこから先の展望はどうなるのか。ひきこもりの一つの到達点である就労にどう結び付くのか、母親は70歳位だったので親の死後彼はどのように生きてゆくのか。まさに自分自身の問題でもあるようなことを、TVを見ながら感じていた。そういうアプローチで見ていたため、最も印象的だったのは必死に買い物に行く彼だった。



レジのシーンに彼と母親はなんとか会計を済ませていたが、会計の向こうにいる店員と彼。彼はレジの向こうに行けるのか。つまり「就労へたどり着けるのか」という事。



最近のひきこもりはもはや20代、30代の問題ではなく、40代、50代に入り、いよいよ、まったなしという感じらしい。知り合いから聞いた話だけれど50代のひきこもりの人が親を亡くし自死したという事実。



僕はひきこもりの高齢化に対して素直に言えば安心した。まだ34歳だ。もう少しひきこもっていられる。だけど時間は早く、今これを書いてるのは12月。読んでくださってるのは2016年1月僕は35歳になる。しかし、僕はおそらく、世にいう“ひきもりと呼ばれる人々”よりずいぶん恵まれた環境にいるのだろうと感じている。こうして、書く機会を持ち、講演会なんて調子にのって出てるし。なにしろ肩書きがあり名刺まで作っているのだから。しかも楽しんでやっている。だけど、これでも不安は大きい。このような恵まれた環境に到達するまで10年間もかかったし、これからどうなるのか不安の方が大きい。精神的、経済的自立には程遠いし、展望なんてものは全くない。それどころか今まで出来ていた某就労支援センターへ行くこともずいぶんおろそかになっているし。なんだかここのところ調子が悪い。人生を頂上を目指す登山のようにたとえたら、足場が今にも崩れ再び最悪の状態へ落下するのではという感じ、だからステップアップなんて言葉ではなくてどうやって今の自分の立ち位置を保とうか必至にもがいている。


そんな困難な日常に新しい光がみえた。それはSNSのとっても素敵な出会いであり、僕にとって初めての経験だった。日々の通話にて、僕のことをとても理解してくれる存在でもある。また僕自身、依存体質のため、依存している今までの対人関係から一歩進歩し、僕が悩みや話しを聞くこともしばしばあった。そのような過程で相手が喜んでくれたことがとても嬉しかったし自信を失った僕でも誰かにとって役に立つ存在であることは満たされた気分になった。


だけど相変わらず人を信用できない僕は、なぜ僕のことをこれほどまでに信用してくれるのか、いつまでこういう関係が続くのかと、不安で不安で仕方ない日々にもなった。


一方で、その人との関係性を通していかに僕が経済的に恵まれているのかとか、僕の両親は理解があると思えたし。このようにひきこもり状態にありながら、書いたり、講演会を開いたりすることがいかに恵まれた環境であるのかが良くわかった。


ひきこもることっておそらく人との関わりの遮断だと思う。だから当然見方・考え方が狭くなり、僕の場合一向に精神年齢が成長しなかったし、現状の環境に対して何も思えなかった。こうして人と出会い、会話をしたらずいぶん見方・考えたかが変わるという事を強く強く感じた。それに、一見ひきこもってるように見える自宅で人との関係性を構築できるSNSは僕にとってとても有意義で非常に楽しい毎日を送っています。