ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

早起きは地上の常識

〇たった一か月の経験
 
おかげさまで、無事「ひきこもる心を理解する」講演会が終わった。遠方からのご来場心より感謝致します。また受付を手伝って下さった方他に御礼申し上げます。


 僕自身、講演会を主催してみて、いろいろなことが分かった。事前準備のチラシ作成や広報、お茶の購入、セロハンテープやアンケート用紙の準備、参加費回収やアンケート用紙回収の箱、大量のペン(寄付頂きありがとうございます!)の準備、ゲストスピーカーとの打ち合わせ、参加費の釣銭、領収書の準備や印鑑の用意など書ききれないほどの雑務に追われた。
 

 理解してほしいのは、僕が、頑張ったことを誇示したいわけではない。僕がこういう作業を通して、いかに講演企画、主催が目に見えない雑務や作業に追われるということが分かったということだ。
 

 このような講演企画をするまで、他のイベントや講演の文句ばかり言っていた。もう少し時間が短いといい、内容が多すぎて煩雑、雨天の場合の対応をもう少し考えたほうがいい等など。
 

 そんな、文句ばかり言っていた僕がたった一か月ほど講演会の準備をして、文句を言っていた昔の僕を情けなく思えた。
 

 一か月前の僕と講演を終えた僕は経験値そのものが違い、見える景色が変わった。
 

〇地上と地下の差異


ひきこもりを考え続けて約15年、思考と行動とが伴わず自己嫌悪に陥る日々も多かった。
外にでても、他者と関わっても違和感が大きかった。


その違和感をずっと考え続けたのだが、ようやく分かったことがあった。それは講演企画を通じて文句を言っていた僕の見方が変わったことだ。
 

 たった1か月。それに対してひきこもった期間は15年未満。僕は現在37才だが、この年齢はひきこもりの平均年齢らしい。それに15年という期間は決して長期間とはいえない。
 

 ひきこもりUX会議代表理事の林恭子氏の言葉を借りれば、ひきこもりは暗くて光があたらない地下、それに対して、社会人や多くの人は地上にいる。
 

 地下の生活が長いと、地上にでることも苦しいのだが、地下の生活と地上の生活では、大きな差異がある。

〇早起きは地上の常識
 

 現在、ひきこもり長期化が問題視されているが、ひきこもり経験が長いとそれだけ生きた「経験」そのものが、地上の普通の人とは異なる。
 

 僕の例で言えば、体調が悪いときは3分も歩けなかった。地上に居る人は30分くらい歩いてほしいというだろう。そういった一般論がひきこもりを傷つけるのだ。
 

 普通、早起きすべきであり、普通8時間程度働くべきであり、普通週に二日休みがあれば良いほうだ。
 

 そういった普通の出来事に対し、ひきこもった人の価値基準はまるで違う。


まず「早起きして、それから~」といわれても体が動かない。
 

 ヒューマンスタジオ代表の丸山康彦氏はひきこもった人に「まず早起きを始めることの推奨」に対し警鐘をならしている。早起きという常識は地上の常識であって、地下では非常識なのだ。地下の生活では早起きは「最後の段階」で、仮に早起きを努力したとしても、もしできなかったら、地上では小学生でも、幼稚園児でも、3歳児でもできる簡単なことであり、早起きすらできないという事実がひきこもった人に大きな自信を失わせるだろう。
 

 また、地下の生活は、働かねばならぬ、だけど働けない葛藤に常に苛まれ心が休むことすら許されない。そんな地下の生活が長く続くと、人生を諦めようと思うのは当然だ。


〇当事者活動の意義 
 


地下から地上にでても、一見同じ人間に見える人たちと経験がまるで違う。僕の経験で言えば、それは日本人と外国人以上に違うように思う。


その大きな差異を埋めるのが、現在ようやく見え始めた当事者活動家と言われる人達の言葉の重み(ひきこもり新聞、ひきポス)である。地下の生活はどんな生活だったのか。どんな苦しみがあり、地上にでると、どんな違和感が生じるのか。彼らはあらゆる具体例を通して発信しつづけている。それは、まさに地下にいたひきこもりの人と、地上に居る人の架け橋であり、通訳をする人だと僕は思う。


林恭子氏や丸山康彦氏、勝山実氏はその先陣だ。


当時者活動がもっともっと盛んになり、地下の生活と地上の生活の大きすぎる差異を埋めてほしいと切に願う。そして僕もその片隅で努力したい。
 
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