ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No33 コミュニケーション力がなくても就労&恋愛ができる!~父親の生き方から~

○「外出していてもひきこり状態って?」
僕の父親はおおよそ40年以上にわたりひきこもりだ。
と言っても先月書いたようにごくごく普通の会社員です。それでひきこもり?と思われた方。そうなんです。ひきこもりなんです。
 
 よく、ひきこもりの漠然としたイメージって家から一歩もでず家に閉じこもってる状態を想像するのかもしれない。僕の勝手なひきこもりの定義は「対人関係の遮断」だと思ってる。なので例えば、一人で外出してコンビニへ買い物に行くとか、一人で車でドライブ、一人で服を買いに行く、一人で書店に本を探しに行く、図書館に行く、これらの行動はすべて「ひきこもり状態」にあると思う。ちなみにこの例はすべて僕です。


逆に家に閉じこもっていても、在宅就労をし、頻繁に誰かとメールでやりとりし、またSNSや配信サイトで誰かと交流する。これは社会と関わりをもち、「対人関係を構築」しているので「ひきこもり状態」ではないと僕は考える。
 そのような意味から僕の父親は会社員だったけれど、友人と呼べるような人はおらず、仕方なく会社の対人関係はこなしていたけれど、例えば、会社帰りや休日に友人と飲んできた、という話は聞いたためしがない。なので、僕ら家族が会社の愚痴を聞かされることが多かった。だから会社の誰々さんがと言っても「あーあの偉そうな上司ね」とか、「あーあの腰の低い人ね」。「え?あのひとが異動したの」、「会社を辞めたの?」など。会社の人たちの名前やキャラクターさらには父親が好きな学歴までおおよそのことは知っていた。

二十歳前後、僕が大学受験のため毎日予備校に通いその後、代官山、渋谷、原宿へとお決まりのショッピングコースに行っていた。もちろんその当時の僕は自分が「ひきこもり状態」であるとは思ってなかったし、ひきこもってる人とは遠い存在であり、ひきこもりという言葉すら思いつかなかった。だけど、今思えば毎日、毎日「一人」で外出し父親と同じく「ひきこもり状態」にあったと思う。そのため、考え方や見方にほとんど変化がなかった。
 

○「コミュニケーション能力に絶望」
その後、紆余曲折を経て精神疾患を患い外出が難しくなり将来不安が高まった際に、就労支援センターへ行ったら就労の第一歩として「人との交流を持ったほうがいいよ。」と言われ、また当時20代だったから当然恋人がほしかった。


そこで僕は自宅でもできるSNSや配信サイトで遊び結果、恋人はできなかったけれど、男性の尊敬できる友人ができた。様々なアドバイスをしてもらい見方・考え方に、かなり変化があった。また人々を介して自分を客観的に見れるようにもなった。
そうして僕は試行錯誤してきたけれど、結果的に就労も恋愛も経験できず35歳になってしまった。コミュニケーションが苦手な僕だから、就労&恋愛が何年立っても成功しないのだろうと半ば絶望しかけていた。
 

○「コミュニケーション能力がなくても社会参加できた父親」
だが、僕の父親はこうして書いたようにコミュニケーションがとても苦手なのにも関わらず就労&恋愛を成功させ、家庭を持ち現在は退職したけれど長い間働いてきた。だから不思議で仕方なかった。コミュニケーション能力がないのになぜ社会生活に支障がなく人生概ねうまくいったのだろうかと。そこで父親に相談してみた。
 父親いわく、仕事の上ではコミュニケーション能力なんて微々たる能力で人と関わりが多い会社員であっても「仕事上における本質的な力」があればなんの問題もない。という答えが返ってきた。
 
 父親がわかりやすく、僕に説明してくれた。例えば競泳選手なら早く泳ぐ力であり、シンガーソングライターならどれだけ良い曲が書けるのか、人との関わりが多いコンビニの店員でも作業が正確に素早くできればよいのであって、人とうまくやれるのは二の次だと言ってくれた。
 
 さらに仕事ができる人間なら自然に女性にもモテるのではないかと。
 
 コミュニケーション能力がなければ、何もうまくいかないと考えていた僕にとってこの話は目から鱗、もっと言えば生きる指針が変わったと言ってもいいかもしれない話だった。
 
 対人関係を無理にうまくやろうとしなくても僕ならこのエッセイのクオリティを上げる努力とか編集スキルの向上、こども若者応援団でプレゼンするときの工夫に力を入れればよいのではないかと強く感じた。