ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No35 ひきこもりの実態~洋服を買い続けて20年間~

思春期の頃10歳くらいかな。僕はファッションに目覚めた。
 それまでは、多くの子どもと同じく、母親に買ってもらってた服をそのまま着るだけの生活だったのだけれど。きっかけは特に思い出せない。でもそれから中学校に入学し異性を意識する年代に入ったころ僕はファッション誌を買うようになり、洋服ってこんなに高いのか、とか、ニット?デニム?とかわからないことだらけだった。それでも夢中でファッション誌を読み、あんな風になりたいな、とか当時の小遣いでは買えない高価な服に羨望のまなざしで見ていた。
            
当時は今と違いインターネットなんてなかったので買い物に行くしかなかった。だから横浜まで買い物に行くこともしばしばあった。でも服を自分で買うなんて初めてだから、何をそんな風にしたら、ファッション誌や学校の同級生、また街で見かけるおしゃれな大学生みたいになれるのかわからなかった。それに今のようにユニクロとか無印良品のような安く買えるおしゃれな店が極めて少なかった。しかも雑誌に掲載されている多くの店は東京都内にあり、支店が横浜になかった。だから東京まで行きたかったのだけれど、中学生だった僕には少し距離が遠かった。
 
 洋服を買う動機は身近なおしゃれな人のようにかっこよくなりたかった。中学生くらいなら誰しも思う大人っぽく見られたい。一番の動機は「モテたい」これだ。やっぱりかっこいいとモテるよね。男ならモテたいのは当然の事。
          
先日ある友人と服の話をしていたら、服って自己満足だよと聞いた。モテるために外見?あまり関係ないんじゃないかと聞いた。これは驚きましたね。それにショックだった。中学生だったころから現在まで、服にいくら使ったのだろう。考えただけでも恐ろしい金額になりそ
うだ。え?服ってあまり関係ないのか。もう一度書きますがかなりのショック。
服にお金を投資するより、飲みに行くとか、友達と遊びに行ったほうが交流が増えその先に恋愛が待ってるという「当然の事実」を僕は知らなかった。それに僕は高校にも塾&予備校に在籍し立派に社会に出ていると思っていた。だが実態は友人のいないひきこもり状態だった。まさにこれがひきこもりの現実かなと感じた。



話は前後するけど僕は中学校二年で不登校になりおおよそ20年間は友人・知人はいなかったので、思考が停止したままだった。だから、当時つまり中二の発想・思考のままに、モテるには洋服、洋服とばかりに、春・夏・秋・冬、服を買ってばかり、もちろん自己満足の部分もあるけど、買う動機の多くはモテでした。なんか悔しい。「お金を返して!」と今は思ってる。友人にも話したら、授業料と思ったらと言ってくれたけど、うーん。あのお金をもう少し対人関係に投資していたら、今頃は幸せに結婚していたかもしれない、対人関係の中から就労へ結びついていたかもしれない。
            



最近は人と交流することが多くなったので、その人の服を見ることが多いけど、服よりも雰囲気とか話し方、話の中身のほうに興味がある。語弊があるかもしれませんが、僕みたいに下手に服にこだわってるより、あまり服なんてどっちでもいいや、って人のほうが僕には魅力的に見える。外見にこだわらない人はなんだか自分を持ってる気がするし、外見なんてものに気を使わなくても自信がある。そのように見える。だから最近僕も以前に比べあまり髪型とか洋服にかけるお金はだいぶ減った。そのお金や時間を人と交流することにあてている。僕の場合家で人とコミュニケーションをとる事が多いので部屋着でいいや、なーんて気楽な恰好で暮らしている。
            



こんなことを書くと身も蓋もなさそうだけど、やはり対人関係の遮断は得るべきものがない時間だったのかなと個人的に思っている。