ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No36僕の心を救った言葉とは?~両親との関係性から~

「早くお風呂に入ったら!」と、僕が母親に風呂に入ることをせかす。


いきなり「何を!」と思われたかもしれないが、我が家では特に決まりはないのだけれど、僕が一番に風呂に入り、次に父親、最後に母親が入る。その母が決まってソファーで寝ている。僕が「早く入らないと風邪ひくよ」とか、「遅くなるよ」、「もう11時だから」といっても、家事や仕事の疲れのせいかゴロゴロしている。 


まー正直、僕としてはこれらの言葉は建前。夜TVを見たいから、母には早めに風呂に入ってもらい、僕はリビングを独占して、夜食でも食べながら至福の時を過ごしたいだけ。
 
 さて、こういう毎日繰り返していると、ふと不登校だったときのことを思い出して、「両親ともに何も言わなかったな」と。風呂に入らない程度で僕が母親にいらだってることを思えば、両親は「学校に行け!」という言葉を「どれだけ我慢してくれていたんだろう」と思った。
 
 今でもお昼12時ころまで寝ていて、母親が作ったチャーハンを食べ、なんだか「ダルイな」と思いながら、また寝て過ごしている。そんな僕に何も言わない両親に、今更だけど「うーんなかなかできることじゃないな」と想像している。
             


こんな感じで日常を振り返ってみて、今だからこそ言える両親との仲、両親から言われて良かったこと、逆に負担になったことを書いてみたいと思う。


僕が不登校だった中学のころ、会社の人間関係から精神疾患を患い毎日死にたいと母親に言い残して出社する父親に母親が悩みに悩み、僕に愚痴をいう。これは辛い。


子どもにとって両親の仲が悪いっていうのは、一番辛いことだからだ。あの時は友人もいなかったし、週に一度来てくれていた家庭教師に、思わず悩み相談をしようかと思ったけど、内容があまりにも深刻過ぎて結局相談することは出来なかった。今思い出しても苦しい体験だ。その後、僕は大学進学を目指して受験勉強をする。僕が目指していた大学は、父親が受験生だった頃は誰でも入学できるような大学だった。そのせいで僕が受験する大学は「誰でも入学できる」とたびたび言われると、ものすごく嫌でしたね。


今でこそ僕に歩み寄ってくれる父親だけど、10年以上前は「なんで理解してくれないんだろう」と思い悩むような関係だった。それが父親の病状も回復し、仕事にも余裕が出てくると、それまで僕ができないことの代わりの役はすべて母親だったけれど、徐々に父親がやってくれるようになった。例えば、どうしても僕が行けない精神科に行ってもらう。同じく就労支援センターにも。さらに、なんとかひきこもりを脱出するために父は講演会へ。


我が家の両親は僕に「あれこれしろ」と言わない。これらの父親の行動は僕がすべて頼んだことであり、あくまで「僕が行きたい」もしくは「行かなければ」と本来思ってることを、代わりに父親が行ってくれたからこそ、引きこもり状態から徐々に抜け出したのだと思う。
              


最近、父親との会話で「ひきこもることは辛いことだよね」、これが僕の心を救った言葉だ。この苦しい体験をようやくわかってくれた。そんな言葉から父親との信頼回復ができ大方の事は話せるようになったし、父親の言うことを信じてみようと思った。そして自宅で安心して過ごせるようになった。そんな両親に感謝している。