ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No38僕なりに頑張った結果~病院のカウンセラーと面談して~

〇「体調不良改善の期待感」

最近体調がすぐれないので何か行動をしようと思い、僕と同じ精神疾患をもった友人に感化され病院内のカウンセラーとの面談に活路を見いだした。地域にあるNPO障がい者の施設での面談は毎月通っているものの、そういう場では精神疾患の知識がないのではないか。病院のカウンセラーに助言してもらったら主治医と連携して薬の調整(服用の増減)も一緒に手伝ってもらい、普段のだるさが一気に吹き飛び簡単に体調改善すると安易に期待し主治医に申し出た。



〇「期待感から恐怖心へ」

予約の時間が午前中の早い時間帯しか空いてないのかと思ったけど、体調不良改善の期待感から普段より3時間ほど早く起き約束の場についた。初対面だったせいか、カウンセラーの表情も硬く、なんだか怖いなと感じながら、先ほど書いたように面談は慣れているので、おもむろにカバンからお気に入りの水筒を取り出し、「お水を飲んでもいいですか?」と聞いた。当然水くらい飲んでもよいだろうと思った矢先に「この場では飲食禁止なんです」と言われ僕は「薬の副作用で喉が渇くのですが」と言ったら、「どうしても、という場合だけ許可します」と言われ期待感が一気に恐怖心に変化した。その後カウンセラーは「録音したいのでICレコーダーで取ってもいいですか」と言われまるで刑務所のような雰囲気を僕は勝手に感じたとった。初対面なので様々なことを聞かれ「だるさは毎日決まった仕事がないからでは?」「19時に晩御飯を食べてそれから特に仕事はないのだから、その時間帯なら少しネットやTVをみて23時には眠れるでしょう」とごく当然のように言われ、僕は「夜中に夜食を食べながらTVを見る楽しみがあるのです」とはとても言えない雰囲気だった。来週も同じ時間に来なさいと言われその日は言ったけど、結局僕は二度しか通えずそのカウンセリングを辞めてしまった。今思えば、はっきりと自分の意思を言えばよかった。もう少し回数を重ねていたらカウンセラーの印象もきっと変わったのではないかと後悔している。でも、水を一口飲むのに許可がいる、決まった仕事がないからだるさが出ると言われ、あくまで想像だけど例えばコンビニのレジで働く人は水を飲みながら仕事してないな。同様にTVで働くアナウンサーも。だからこのカウンセリングって朝起きて9時~17時で働く「訓練・修行」なのかなと。

たかだかカウンセリングルームで1時間程度水を飲んではいけない、23時までには就寝したらという提案すら受け入れられなかった事に不甲斐なさと、なんて僕は頑固なんだろうと痛感した。

 
 

その後、カウンセラーとのやりとりはかなり頭に残っていたので、夜12時迄には就寝するように心がけたり、多くの人と同じように8時間就労に向け、体力改善のため歩いてみるものの15分歩くだけで疲れる。

思い返せば、せっかく横浜から逗子に転校した中二のあの日、毎日学校に通っていれば、朝起きて、日中は活動できるだけの体力・気力が継続したかもしれないと後悔した。今更思っても仕方ないと思う。だけど、毎日歩く過程に地元の中学校があり、よく帰宅時間と重なるから、生徒たちは僕が寝ている8時前後に家を出て、夕方、今頃帰るのかと毎日思うことになる。

僕も小学生の時はごく当たり前のように朝から学校に行き帰宅後走り回って遊ぶか、習い事に行ってたなと。小学校の僕と今の僕はまるで人が変わったように、体力がなくなった。



〇「就労への焦り」

そう言ってもやはり仕事をしないとこのままではよくないと焦りがあった。就労へ向けインターネットで「簡単なバイト」、もしくは「拘束時間の少ないバイト」で検索しても、2時間の立ち仕事や座ったままで行える12時間(休憩を挟んで)くらいの交通量調査バイトがあった。とてもじゃないけど僕には出来そうもないけど、どちらも多くの人には簡単な事なのだろう。



〇「僕なりの努力」

僕がよく使う言葉に「僕なりに頑張った」と言っているけど、「僕なりに」ってのが努力不足なのだろうか。でも、昨年828日応援団主催で行った「総会のようなもの」にて、ひきこもりや精神疾患の当事者または当時者の親が口をそろえて「極めて疲れやすい」と言っていたのをよく覚えている。「僕だけじゃないんだな」って事を。

それにしてもここ最近精神安定剤の量も減っているし、僕を取り巻く支援者たちが、そろそろ働いても大丈夫じゃないかという感覚と僕の体力・気力の実感は乖離している。

最近発行された「ひきこもり新聞」の中に「可能性に期待する」のではなく、「不可能性への配慮」と書いてあった。つまり一生働けないことを理解してほしいと。

僕も先月25日で36歳、ひきこもり状態から試行錯誤を繰り返しておおよそ14年。これから働いてお金を稼ぎ今の生活レベルを維持するのではなく、「僕なりに頑張って」生活レベルを落としながら、親の死後の生活などあまり考えず、「僕なりに頑張って」日々の生活を楽しみたい。