ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No39やめようと思った決断~36歳になって考えたこと~

〇14年間の試行錯誤による結果


出来る事はやってみる。これは今年の目標だ。


そのわけはひきこもりから少しずつ脱却しつつあるけれど、14年前からひきこもり状態になり今日まで試行錯誤した結果、まだまだ世の中の人と同じように行動するだけのエネルギーには、ほど遠いと感じる日々だからだ。

 
 なぜ14年もの長い間、あまり自分の成長を感じることなく過ぎていったのか。そんなことをぼんやり考えていた。驚くような結論ではなく、何か行動を起こそうかと迷った時、やめる、ないしは行かない(行けない)という決断の結果だと思う。
 
 そんな決断を辞めようと思ったきっかけは、1月に36歳になったのが大きいと感じている。俗にいうひきこもりの高齢化と呼ばれる年齢に近い。それに36歳って響きが40歳を感じさせたからだ。
 
 そこで、今年に入って行動したことを思いつくままに列挙してみたい。

〇不甲斐ない日常から現実逃避へ

まず、家に居る時間が長く不甲斐ないひきこもりのような自分から現実逃避しようと行動したのが、新年の「逗子市・賀詞交換会」。よくも悪くも肩書で人を見る癖が相変わらずある。だから、そこに行けば、市議会議員、商工会の役員の人たちが集まるので、まるで自分がその中の一人という“錯覚“に陥りあたかも市議会議員、商工会の役員になったような疑似体験を味わえる。そんな気持ちで行ってみた。もう一つのきっかけは昨年フェイスブックの友人が賀詞交歓会へ行ってたから、その人に会えるかな、という気持ちもあり参加した。残念ながらその人には会えなかったけれど、数名の知人と会話ができた。


〇働いてない現実と向き合い


それから逗子30’S(サンジュウズ)というコミュニティーの新年会へ。30’Sとは、30代くらいになると地元を離れている人が多いので再びもしくは新たに集まって皆でなにか面白いことを企画し交流する団体だ。その新年会に出かけてきた。苦手な食事を兼ねて交流ということだったけれど開催時間が15時スタートなので、もし食べられなくても「昼食を食べ過ぎたた」とでも言い訳をすればOKかな、な~んて構えていた。さらに主催の人にあらかじめ「30分~1時間くらいでよろしいですか」と話しておいたので、比較的気持ちは楽だった。あまりなじみのない人達だから、何を話していいのか、さっぱりわからなかったけど、とにかく周りの人と同じようにしてれば無難と安易な考えでその場におり、少し時間が過ぎたころ「自己紹介」の時間があった。僕を除く人たちは皆、働いており、「30’Sでは○○のような活動をしており普段は○○で働いてます。よろしくお願いします!」という流れだった。そのため働いてない現状をどう伝えたらいいのか。非常に困惑した。だけど、こうして毎月エッセイを書き、5月4日には「いじめ・不登校解決市民サミット」(以下サミット)を開催するので、思い切って「皆さんのように働いておりませんが・・・(しばし沈黙)5月4日にヨコスカベイサイドポケットでサミットがあります。よろしければご参加下さい」と発言した。その場の1人が「サミットに行ってみたい」と言ってもらい、なんだか働いてないけど発言してもよさそうだという雰囲気だったので、カバンに入れておいた小冊子(このエッセイをまとめたもの)を皆さんに紹介した。帰宅後、皆と同じように料理を食べられなかったな。黙って暗い顔をしていたので雰囲気を壊したんじゃないかと反芻していたけれど、主催者の人から「スピーチ良かったよ、また来てね」と連絡があったので承認欲求が満たされ安堵感と喜びが爆発した。その言葉により次回も参加しようと思えた。


翌日、新年会で知り合った人からもしよければ昨年点灯したイルミネーションを外す作業を手伝ってくださいと言われた。行動に迷いが生じたけれど、遅れて参加しその場にいる皆と一緒に片づける作業を行い、最後に記念撮影をして、無事終わった。


〇生きやすい社会とは

このような体験・経験を経て、何ごともやってみて良かったと思う一方でやはり、皆と同じように働いていない現状があるから、なんだか居心地がよくない。今回は恵まれた人達との出会いだったけれど、「働いてない」ことを突っ込まれたらどうしよう、「普段何してるんですか?」と言われたら返す言葉もない。


やはり日本は同調圧力が強く「みんな違ってみんないい」ではなく、「“みんと同じ”働いている」状態のほうが生きやすい社会だと改めて感じた。