ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No51 「数秒の遅刻を許せなかったあの頃」2018年4月1日

〇よみがえった過去の記憶

先日、お気に入りのデニムの丈を短くするために洋服リフォーム専門店に行った。トレンドに沿って少しデニムを短く調整しようと数センチ裁断してもらうことにした。翌日、仕上がりを受け取りに行ったらお店の人に「誤ってお客様の指定より短くなってしまいました」と言われた。特に詫びるわけでもなく、開き直った態度で言われたものだから、心のなかで「デニムを弁償してもらおうか」「短くなったものは元に戻らないし・・・」そんな思いが湧いた。結果僕は「これでも構いません」と言って店を出た。もちろん、僕が文句を言えば多少の弁償をしてくれたかもしれない。しかし、「どんな人でもミスはあるのだから仕方ない」そんな風に思えた。そのような対応を受けた僕は人と繋がりがなかった不登校・ひきこもりの時、学校でいじめを受けた昔の記憶が蘇ってきた。



〇人を許さないことが真理


小・中学校でいじめを受けた時、僕は言い返すことができなかったので、いじめるほうはそれに乗じていじめていた。なぜ僕はどれだけひどい対応をされても「言い返すことが出来なかったのか」なぜ、一度でも「毅然とした対応が出来なかったのか」当時もそんな気の弱い自分自身に強い憤りを感じていた。その後、不登校になり、僕は親に頼んで家庭教師を雇ってもらうのだけど、その際も、時間にルーズな家庭教師に「今日こそは遅刻を指摘し、毅然と対応するのだ」と何度も思い、時に言い方まで練習をしても、柔らかく指摘するか、へらへら笑いながら指摘するくらいしかできなかった。あまりに何度も遅刻するので、結局家庭教師には辞めてもらったのだけど、自分がいかに他人に指摘できないのか、そのことで自分が損をすることがよく分かった。自己嫌悪というか、指摘できない気弱な自分が心の底から嫌になった。その後も大好きな車をディーラーに見に行くと、商売として車を勧めてくる営業マンと接することになる。向こうは商売だから、こちらがお金を持ってない、車を買う客ではないとわかったら、上から目線で僕をあしらった。不登校になり、友人が一人もおらず、僕の見る世界は狭まり、対人関係はディ―ラーの営業マンや美容師その他金銭の授受に関わる人のみだった。




僕は決心したことがあった。他人が少しでも僕に嫌な対応をしたら「毅然」と対応しないと、僕の人生そのものが台無しーつまり学校にいけなくなったり、せっかく習っていた勉強ができなくなったり、車を見に行くことが怖くなったりーになるんだ。だから関わる人が“数秒”でも遅刻することや、僕をいじめるような“そぶり”を見せたら、絶対屈してはいけない。今考えたら
横のつながり、信頼できる友人がいないことが緊張感の高い対人関係だとわかるけど、当時、人にきびしく当たることが僕の中で絶対的な真理だった。


その後、他者と関わることなく大学受験に挑戦し、大学に通えないことからひきこもり状態に突入した。そしてしばらくしてNPOに訪問支援をしてもらった際、訪問者の遅刻を僕は絶対許さなかった。実際、数秒の遅刻を僕は本気で怒って、その訪問者は辞めていった。今考えたら、申し訳なく思うし、僕がたった数秒の遅刻を許容できなかったことを不幸だと感じている。




そんな懐疑的な人間関係が、どこでどう変化したのか。どうして、人を信用できるようになったのか。




それは、30歳くらいになってから、人と関わることを再開したことが大きな要素だ。動機は下心だったかも知れないし、就労支援センターで「人」と関わることを推奨されたことも大きな要素だろう。インターネット上の配信サイト、アンガージュマンのフリースペースや他の支援機関、こども若者応援団、地域の関わり、Facebook友達。僕は対人関係が苦手なので、広く浅く人と付き合うことが多いけど、ほとんどの人が僕をいじめることもなく、僕の気の弱い特性を知ったからと言って、それにつけこむこともなかった。



〇他者と関わることの大きさ


対人関係を再開した当初、ネット上の配信サイト(僕がやっていたのは『スティッカム』と『ツイキャス』)では、臆病な僕が相手に「否定されないように」少しずつ距離を縮め、気の合う友人らと何時間もわたって二年間くらい交流した。中学2年から約15年間、対人関係が完全に空白だったこともあり、ネット上の“距離感”が僕にとって心地よかった。バレンタインデーには好意を寄せていた女の子から義理チョコを貰ったり、何でも相談できる友人と巡り会い、その後1度だけ会った。出会ったときの喜びはとても大きく、横浜にあるカフェであっというまの4時間、人生観、恋愛、あらゆることを語り合った。僕の中でネット上の対人関係は現在、人を許せるようになった大きなファクターであり、そのこと抜きに今の僕はないといっても過言ではない。「家族以外の他者から認められること、関わること、そして彼らが働いてないという要素で僕を見なかった事」このことがどれだけ大きな要素だったか、言葉にできないのがもどかしいくらいだ。




人はそんなに悪いものじゃないし、これからも今あるエネルギーのなかで人と関わって多くの見方、考え方に触れたい。そんなことを考えたデニムの裁断だった。