ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

個人個人にあった社会へ

仕事に追われた人、子供と大切な時間を過ごした人、
不運続きで、やってられないと、思った人。
色んな一日だったと思います。
 
 
そして、私の活動「ひきこもり発信プロジェクト」もお陰様で約3年。
皆様に支えられ頑張れました。
 
 
3年の活動を通して思ったことは、
不登校、ひきこもり当事者親子の葛藤でした。
 
見えづらい生きずらさ、当事者の努力しても体が動かないつらさがあります。
家庭の中では、学校に行けない当事者と親の戦いになってしまいます。
経験していない人にとっては、家に居て、楽に見えるかもしれません。
そういう見方に、反対はしません。
 
 
私も、体が動く時、生きづらさを抱えてなかった時代、「なんで、頑張らない人がいるのだろう」不思議でした。
 
 
しかし、まさか私が不登校、ひきこもりになるとは夢にも思いませんでした。
自分が当事者になって、どれだけ工夫しても頑張れない自分がダメなんだと思っていました。
 
そして、社会に適応できない自分が情けなくなりました。
 
だけど、体は思うようには動きません。そして、生きることを諦めようかと思うようになりました。
 
しかし、時が過ぎ様々な学びを透して見えてきたのは、個人の努力不足だけでは無い
社会の枠組みに合わないのではないか。
現在の学校制度は、管理教育です。
働くためには、最低週に3回、4時間程度働く必要があります。
どうしても、そこに合わない人がいて、当然です。
 
そして、社会に適応出来ないことは、個人として劣ってるわけでもありません。
多くの大学一般入試では「英語」が必須です。
英語ができる人が、高い学歴を手にできます。
しかし、他の教科ができる人と、英語ができる人に「順序」をつける社会の枠組みにも、目を向けて欲しいです。
 
不登校、ひきこもりになれば、多くの人は筆舌に尽くし難い苦しみを抱えます。
学校や、仕事に合わない、それだけで。
もちろん、その中で、努力してる人もいます。
その人たちがいるおかげで、私もこうして生活出来てます。本当にありがとうございます。
しかし、どうしても合わない人もいます。
 
不登校でもひきこもり状態という何も悪いことをしてない人達が苦しい思いをして欲しくない
ただそれだけです。
長い文章読んでくださってありがとうございます。
ありがとうございました。