ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

日本社会における物の価値の変遷

〇なによりも好きな事
 
 マツダ3という車をご存じだろうか。

 アクセラ、ファミリアといったほうがわかりやすいのではないだろうか。

 マツダ2012年にSUV(スポーツユーティリティビークルCX-5を発売した。
 

 その際、燃料効率の良いスカイアクティブテクノロジーという技術で世界に打って出た。

 特にクリーンディーゼルは話題になり、力強い低速トルクと高燃費かつCO2の排出が少ないという、今までのディーゼルエンジンのイメージを覆す車を発売しヒットした。

 デザインもまるで今にも動き出しそうな魂動(こどう)デザインを採用し我々の心を掴んだ。

 それらの技術やデザインがマツダのすべての車に採用され、第二期に入った。その第一弾がマツダアクセラのフルモデルチェンジ版であるマツダ3だ。 
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記のデザインを見てもらってどう思うだろうか。

僕はこの半年この車を常にインターネットで詳細を確認した。
 
見るだけでワクワクするとはまさに、このこのことか。

現時点ではまだ発売されていないがあと10日ほどで発売される見込みだ。
パラダイムシフト
 
 現在、車離れが叫ばれて久しい。

 免許を持っていない若者が増えており経済的な理由などから車離れが進んでると言われている。しかし本当にそうなのだろうか。
 
 日本がバブルに沸いた80年代まで、車はステータスシンボルであった。

 会社のヒエラルキーと同様に車にもヒエラルキーがあり、高級車を所有することが人生の大きな指標であった。
 
 アパートに住んで中古のポルシェを買うという今の世代には考えられないような価値観が日本に蔓延していた。
 
 翻って現代の車社会はどうなっているのだろうか。

 販売台数の4割は軽自動車。6割が登録者(普通自動車)。

 この事実だけで、車に興味が薄れたという観点でみるのは危険ではないだろうか。

 一言で言えば、日本人の文化が一段階上がって、車をステータスシンボルでなく、「道具」になったということではないだろうか。
 
 スプーンや、フォークを自慢する人がいないように、走って人と、荷物が詰めればそれでよし。

 そのようなパラダイムシフトが起こったのではないだろうか。
 
 今や車で権威を誇示したり、一晩で一千万を使ったというような価値観は若者には受け入れられないだろう。

 それよりも、価値観の共有であったり、人間の本質を追求したいというような新しい時代に入ったのではないか
 
 また、現在シェリングエコノミーという経済学がトレンドだ。
(物サービス場所などを、多くの人と共有交換して利用する社会的な仕組み。自動車を個人や会社で共有するカーシェアリングをはじめ、ソーシャルメディアを活用して、個人間の貸し借りを仲介するさまざまなシェアリングサービスが登場。シェアエコノミー。シェアエコ。共有型経済)コトバンクより。


こうした経済学にも象徴されるように所有の時代から自己実現や社会課題を解決するための手段としての物という大きな価値感の変更がある。
 
 そして、最小限の物しか持たない「ミニマリスト」というトレンド。
 
 僕はこういった最先端の価値観にワクワクするタイプだ。今もなお車の所有欲求は存在するが、一方で最先端の価値観に触れる喜びも同時に持ってる。 
 
 10代のころからずっと車好きだった僕にとって、今や道具になり下がったというのは一抹の寂しさを覚えるが、車の稼働率は10%という。

 要するに、ほとんどの車は車庫にあると言う事だ。

 それに購入時に新車なら200万程度、10年維持すれば同額程度必要になる。

 そう考えると車の所有というのはずいぶんコスパが悪いと思う。

 車がステータスシンボルであり、僕にとってある種の夢だったものが、今や道具であり、高価なくせに車庫に置くための物。

 そう考えるとなんだか、虚しくなり、今や出来る限り安い車のほうがいいのではないかとまで思っている。
 
 インターネットの出現で情報は誰にでも平等に手に入る時代になり「車」という価値観も大幅に変わっている。

 それでも多くの人は車の購入を辞めないし、辞められない事情もあるだろう。
〇所有という概念は消える
 
冒頭に戻り、そういった価値観の中、僕はマツダ3に魅せられてる。

こうして徐々に車は一部の車好きの物になっていくだろう。

いずれは移動手段が馬車であった時代から馬を操るのは一部の人が限定的に楽しむものに変化したようになるのだろう。

そして車は自動運転になり、公共交通機関のようになっていくだろう。

そして、車を「所有」するという概念は消えるのではないだろうか。
 
 久しぶりに不登校ひきこもりから離れて文章を書いたがなかなかエキサイティングな体験だった。ここまで読んでくださった読者の皆さま、いかがだろうか。