ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No3「幸せのものさし」2014年3月1日

 最近滝田さんからサプライズのようにここでの連載を設けてもらったり、バレンタインデーにはネットで仲良くなった女の子から義理チョコを貰ったりと33年間生きてこれほどいいことが重なることはなかった。そして、連載の話を聞いたときには飛び跳ねて喜び、また33年間恋人がいない僕にとって義理チョコでも好意をよせている女の子からチョコを貰える話を聞いた時は、ああチョコが届いたらそれを抱きしめて飛び降りようかと思うほど嬉しかった。(バカですね笑)



ひきこもりで最もつらかった時期にはいつも飛び降りることしか頭になかった。しかしその時は飛び降りる気力のかけらもなかった。そこでよく考えてたことが僕にはあって人間の寿命はせいぜいもって100年、どーせ人生苦しいことが多く幸せなんてほんのちょっとしかないから、これからいいことがあってもまた苦しいことに直面するんだろーなーと考えていた。だから、終わりよければすべてよしということわざがあるように、一番幸せだと思えるときに飛び降りようと決めていた。

しかし今、連載の件やチョコもなんだか話を聞いた時の高揚感がない。むしろ連載も特別書くことがないし、チョコも、もともと甘い物が好きじゃない僕には食べきれないしどうしようかと思っている。



僕のこの気持ちだったら、この先どんなにいいことがあってもそれが当たり前になりそうだなと思う。



一方で、この当然となる感覚が少しわかってきた今、どんなに辛い状況でも見方や考え方を変えれば幸せはすぐそこにあるのではないかと。一番つらかった時期でも明日の食事を心配するような経済状態ではなかたし、父親がローンで苦しみぬいたちょっとした邸宅?があった、と今なら思える。
 

 人生いいことばかりじゃないのは身にしみてわかってる。今後再び人生の谷間に落ちた時には、短絡的に飛び降りようと思わないようにしようかと考えている。でもまー落ち込むときは落ち込むし、人生なるようにしかならないのだから、あんまり難しく考えるのはなんだかめんどくさいなーと思えるようになった。多少人生観(というと大袈裟だが)が変わってきて生きづらさみたいなものがなくなってきたのかなと思っている。