ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No42 すべての子どもに生きる喜びを~講演会で話した経験にて~

〇干渉してしまう親
先日、友人の紹介でひきこもりの親の会で講演をしてきた。
僕の不登校に至る経緯、高校進学、大学受験、そしてひきこもり体験を紹介した。
 
 質疑応答の時間にて、親はどうしても、子どもを干渉してしまうということだった。具体的には、子どもがゲームをしているけどやめさせたいが、どうしたらいいのか。僕は「そのまま続けたらいいじゃないか」と答えた。それに、羨ましいなとも思った。夢中になれるなんて素敵だし、ゲームの延長で仕事はいくらでもありそうだから。それでもゲームをやってる子どもに対し否定的だった。
 
 親の世代と子どもの世代で価値観が違うのは当たり前だし、なかなか溝は埋まりそうもない。そこで、今月は、不登校・ひきこもり経験から得た事と親との関わりについて書いてみたい。


〇本物の喜びを体験
僕は、小6で不登校になり、学校へ復帰するも、中二で再び不登校になった。

そんなある日、もともと好きだった車に興味をもち、雑誌を買ったり、親の車を洗車したり、いつか持てるであろう免許を楽しみに、親にどこかドライブに行けと言い、毎日出かけていたことを思い出す。
 
 その時、強烈に印象に残っている出来事があった。洗車の後、入念にフロントガラスを磨き、コンパウンドと言う研磨剤で汚れを落とし、最後にコーティングをする。そういった過程を「主体的に取り組んだこと」。誰にも命令されず自分で考え自分の力で取り組めたこと。これが本当に嬉しかった。
 
 小学校の時、スイミングスクール、公文教室、サッカースクールに通って散々努力はしたけど、親からやらされたことで、なんの達成感もなかった。公文では算数が得意で、上級生より難しい問題が解けても、まったく喜びはなかった。
 
 不登校になり、初めて親や教師の命令から解き放たれ、「車のフロントガラスにコーティングをした」それが僕に初めて本物の喜びというものを教えてくれた。     

学校に行っていたときは、遊びでも、同級生がやっていることをやらないと、仲間外れるされるのではないか、小学校高学年、中学校になると、砂遊びはダサいとか、そういった同級生からどう見られるかを意識した遊びになっていた。
 
 不登校渦中、親に勉強しろと言われない生活が続いたので、何故か数学に興味をもち、通信教育に主体的に取り組み結果が出たことがとっても嬉しかった。そして、新聞を読み、TVを見て政治や経済に興味をもった僕は、それを知りたいがために、家庭教師を雇ってもらった。
 
 たまたま家庭教師との相性が良いこともあり、その先生は勉強がとても好きで、僕に夢中になり政治・経済の魅力を教えてくれた。感動した僕は、政治家や経済人にインタビューする仕事に興味をもった。それに、そんな先生に憧れ同じ大学に行ってみたい。そんな動機から3年遅れの高校進学を果たした。その後予備校に通い、大学受験をするも、学習のブランクから、志望校には届かなかった。しかし、受験した日々はとても楽しかった。主体的に勉強に取り組み、塾や予備校もすべて自分で決め、学習方法もすべて自分の意思で決めた。毎日、毎日、図書館や予備校の学習室に積極的に通い、昨日の自分より今日の自分の学力向上を体感できた。今思い出してもワクワクする。
 
 親は何も言わず一喜一憂することもなく、費用の工面だけしてくれた。
 
 僕はそんな家庭環境のおかげで主体的に取り組めたし、ワクワクするような体験まで出来た。


〇すべての子どもに生きる喜びを!
このような経験を得た僕から親御さん、地域の皆さんにお願いしたい。不登校・ひきこもりの人には何も、しないでほしい。不登校・ひきこもり当事者も、どうにか現状を打破し社会参加しなければという考えが常に頭をよぎっているので、それを尊重し、本人が動くまで待ってほしい。
 
 特に、親御さんには自分の趣味や仕事に没頭して子どもの事は忘れてほしい。そして、大人達には日々を楽しく生きてほしい。それが全ての子どもに希望を与え、生きる喜びを見いだせると信じている。