ひきこもり経験者の日記連載『すぐそこにあること』

ひきこもり経験者のブログ「すぐそこにあること」

連載No43 書くこと、話すことは迷惑行為?~冊子の販売講演を通して感じたこと~2017年7月1日

〇罪悪感に満ち溢れた行為
このエッセイをまとめた冊子を三浦半島市民サミットで販売した。その1週間後、前号に書いたように講演会にださせてもらったのでそこでも販売した。さらにタウンニュースに取り上げて頂いたこともあり、地域の人たちにも手に取ってもらった。このような販売経験を通して僕が感じたことは、「こうして書くことがひきこもり当事者の迷惑行為になっているのではないか」ということだ。
 
 先月号にも書いたように、不登校&ひきこもり経験者である僕がもっともされて嫌なことは家族や親せき、地域の人たちからの「おせっかい」だ。主体性を持って動き出す事まで待ち、動いたことを尊重してほしい。こんな希望、願望を持つ僕だから、タウンニュースの読者から「近くにひきこもってる人がいるから」と言われ販売することは、罪悪感に満ち溢れた行為になった。
 
 仮に僕が今より深くひきこもっていた時期に、近所の人から「当事者が書いた自分史を読んで」これは生き方を否定された気分になるだろう。つまり、ひきこもることは間違いで文章を書くことで社会参加していることは正しいと言われている気分になるだろう。結果、その人だけでなく、世の中の人はみなこういう風に否定してくるのか、世間に出たらこういう嫌なおせっかいに直面するのではないか。そんなことを考えさらに深くひきこもること間違いだろう。
 
 僕としては“ひきこもりは生き方の一つ”だと受容してほしい。そのためにこうして文章を書いているのに、当事者にとって迷惑な存在になったのかと考えたら、なんだかやるせない気持ちになった。
 
 講演会に出て話した時も、親御さんが「息子、娘を連れてきて新舛さんの話を聞かせたい」と言っていた時も全く同じ気持ちになった。
 
 だからこうして書く事や話す事に対し今後は慎重になろう。もしくは工夫しようと思った。そして、このエッセイはひきこもり当事者・経験者としの切実な想いだということを明らかにするため今号は現在困っていること、苦手な事を書いてみようと思う。

〇ひきこもりの特徴
 昨年9月25日こども若者応援団定例会議(以下、定例会)のため自宅逗子から横須賀市にある市民活動サポートセンターに車で向かった、その際気分が悪くなりその場にたどり着くも退散。そんな経験から横須賀に行くことが難しくなった。僕はこども若者応援団の事務局員なので、どうしても定例会へ「行かなければならない」という考えで、10月の定例会議には親と一緒に行ってもらいなんとかその場にたどり着いた。

その後、定例会・三浦半島市民サミット準備委員会を中座、遅参、欠席を何度も繰り返し、5月4日のサミット当日もずいぶん苦労した。朝起きるも倦怠感に苛まれ、緊張感が高まり、先に行ってもらっていた両親に連絡し最悪何時に出ればいいのか確認を行い、最近最も仲良くしている友人に電話で話を聞いてもらい、予定時間を3時間過ぎた12時にようやくたどり着いた。しかし、持病の精神疾患によりとても疲れやすいので、その場から何度も逃避(帰宅)を考えるも両親の説得により断念。ホリケンとコラボの際立ちっぱなしの不安を抱え登壇した。
 
 こうしたプロセスはとても面倒で苦しいけど、何故か多くの人の前で話をすることには何の緊張もない。ただ「外出・対人関係が苦手」で「疲れやすい」。


そんなある日、ツイッターでひきこもり経験者が選挙にでるというタイムラインを見た。惜しくも落選してしまったもののいい線までいったらしい。彼のつぶやきのなかで、普通にできることができなくて、演説など普通の人が苦労するであろうことができてしまう。という趣旨のことがあった。僕と同じだな~と。とても共感した。以前ひきこもり名人勝山さんのことをこのエッセイでも紹介したが、名人も外出や対人関係は苦手だけど、執筆や講演活動はしている。もしかしたら普通にできることができない。だけど普通の人ができないことができる。これが「ひきこもりの特徴」なのかもしれない。

〇不安・恐怖・逃避
まだまだ、僕はできないことがある。
 
 夜12時前後寝ているにも限らず朝7~10時には起きられない。30分以上歩くと疲れる。親の死後を考えると不安で仕方なくなる。ガソリンスタンドはセルフ式にしか入れない。散歩に行って前から人が来ると逃げる。電車・バスは1分も乗っていられない。車が好きだけど県外に出られない。安定剤がないと寝られない。自意識過剰により考えなくてもいい事まで無駄に考える。バイトなんてしたこともなければ考えただけで恐怖。会食恐怖症なので人と食事が難しい。体調が不安定だから人との約束が困難。他者の考えを受け入れるのに抵抗がある。こんな感じできりがないくらいできないことがある。



〇主体的行動の尊重を!
こうして書くと世の中のひきこもり当事者と呼ばれる人達とそんなに変わらない。むしろ僕のほうが出来ない事が多いんじゃないかとさえ思う。そんな僕でも主体的な行動を経てこうして書くこと、話すことがようやくできている。もちろん支援やサポートは大切だが当事者の意向を無視した行為により当事者が深くひきこもったり、人が信じられなくなることだけは避けてほしいと切に願う。